山口県岩国市 杉民治顕彰碑

岩国市本郷に杉民治の顕彰碑があります。


杉民治顕彰碑」。
明治維新150年を記念して建てられた碑。
民治は吉田松陰の実兄として知られ、
長州藩の民政官として活躍しており、
明治11年まで地元民政に関わりました。
明治3年から9年の間には、
山代区長(代官)を務めていたようで、
水利に恵まれなかったこの地に、
戸長の三分一健作らと共に水路を造成。
開墾事業も積極的に行っており。
民の暮らしの向上に貢献しています。


隣には説明板が設置されており、
奥山代代官を務めた玉木文之進
本郷出身の増野徳民の他、
山城屋和助の説明板もあって驚き。
山城屋は本郷出身の元奇兵隊士で、
本名は野村三千三といいました。
明治維新後は商人に転じており、
横浜陸軍御用商として成功。
長州閥のコネクションを活かし、
生糸の輸出貿易で巨額の富を得ますが、
普仏戦争による生糸価格暴落で損失を出し、
陸軍省からの預った金を返済できず、
陸軍省内で自殺しています。
陸軍汚職事始めとされる事件の当事者が、
民治と並んで説明されていました。


義の心 十一庄屋義挙四〇〇年」碑。
杉民治顕彰碑の隣にある碑。
防長二州に大幅減封された毛利家では、
折からの財政難に直面しており、
領内に七公三民の重税を課します。
この税率で領民は困窮し、
今にも爆発しそうな状態となり、
西村次右衛門ら11村の庄屋が、
代官所へ4割の減税を要求。
藩は一旦嘆願を受け入れますが、
後にこれを主導した庄屋らを出頭させ、
即日11人の庄屋全員が斬首となり、
本郷川の土手に晒されました。
この碑は処刑400年目の平成21年に、
庄屋らの義の心を称えて建てられたもの。

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