誘惑に弱い人というのは結構いるもので、
現在でも酒、女、ギャンブル等にハマって、
どうしようも無くなるロクデナシはいるものです。
奇兵隊出身の商人山城屋和助は、そういう人物でした。
山城屋和助(野村三千三)。
周防国本郷村の漢方医野村玄達の四男野村三千三は、
根っからの遊び人で、良い歳にもなっても女と酒ばかり。
何を思い立ったか25歳の頃、僧侶となり全国行脚に出ます。
行脚といっても行く先々の遊郭を巡るだけ。
三年ほど経って突然戻ってきて奇兵隊に入隊しました。
行脚の間に攘夷の志を持ったのか?
はたまた手持ちの金が底をついて給金目当てか?
奇兵隊士になっても、稲荷町や裏町の遊郭に出没し、
酒と女の日々を送ります。
四国連合艦隊が下関を砲撃し砲台が占拠された際も、
三千三は遊郭で酔いつぶれていらしい。
普通ならば切腹モノのところですが、
何が功を奏すかわかりません。
遊び人というところを何故か評価されて、
間者として江戸行きを命じられます。
三千三は遊郭で情報を探るという、
天職のような仕事を得ました。
以降、どのような情報を長州にもたらしたのか不明ですが、
長州内訌戦、幕長戦争、鳥羽伏見を経て、
奇兵隊が官軍として江戸に入るまで、
江戸で活動していたようです。
江戸で奇兵隊に復帰し、北越戦争に従軍。
奇兵隊五番小隊長として活躍します。
小隊長に任命されているということは、
ある程度間者として長州藩に貢献したのでしょうね。
さて、戦争が終わると、三千三は志があるでもなし。
軍に残らず商人となりました。
山城屋和助と改め、数年で豪邸を持つほどの豪商となる。
この成功は、木戸孝允より借用した五百円で、
銀相場を張って一万円の利益を出したのが始まりとも、
山縣有朋より陸軍省の公金五十万円を流用してもらい、
その金で横浜の外国人と交易、
膨大な利益をあげたともいわれています。
いずれにせよ奇兵隊で得た人脈を利用した事に、
間違い無いでしょう。
しかし、そんな状況も長くは続きません。
陸軍省の公金を借用して生糸相場に手を出しますが、
欧州での生糸相場の暴落で膨大な損失を被ります。
この状況を打開するために、
山城屋は直接欧州に渡っての商売を決意。
明治4年12月、山城屋和助は欧州に渡ります。
この時、山縣より更に公金を借用したとされる。
明治5年春、鮫島尚信駐仏公使より、
金遣いの荒い日本人の身元照会が行われます。
本国の外務省副島種臣外務卿がこれを聞き、
山城屋和助の名前が浮上。
パリの高級ホテルに滞在して観劇や競馬に興じ、
女優との交際や富豪令嬢との婚約話など、
商売そっちのけで豪遊しているという噂が、
現地で広まっており、調査の結果、
総額約65万円にのぼる公金の無担保貸し付けが発覚。
この事件に山縣が深く関わっている事に、
他藩出身の官僚が陸軍長州閥を糾弾します。
山城屋と親密であった山縣は追い詰められ、
山城屋をパリから呼び戻します。
帰国した山城屋はすでに破産寸前の状態。
返済能力の無い事が明らかになります。
山城屋は旧知の元長州藩士ら人脈を頼り、
金策に奔走しますが、皆山城屋を見捨て面会を断ります。
山縣にしても糾弾され追い詰められており、
山城屋に返済を催促。窮地に立たされた山城屋は、
関係書類をすべて燃やして、
陸軍省内の部屋で割腹自殺してしまいます。
これにより真相は闇の中となりました。
パリで何故、商売もせずに豪遊していたのか??
これ、最近でもよく事件になりますよね。
横領して有り金無くなるまで豪遊してたって話。
元来酒と女が大好きな人間が、商売が上手くいかなくなり、
もうどうでもよくなって、その場の快楽に溺れるっての。
今も昔も変わりませんねぇ~。
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