温泉津は山陰街道の宿場でしたが、
石見銀山で産出した銀の積出港でもあり、
古くからの温泉地でもあった場所でした。
大田市温泉津町周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが温泉津宿のあった場所。
街道筋からは外れますが、
JR温泉津駅より港側へ歩いてみます。
「小浜」。
道路は広くなっていると思われますが、
古い商店が並ぶ小浜の街並み。
こちらは商業的な町だったと思われます。
「温泉津湊」。
温泉津湾は周辺で一番大きな湾。
北前船の寄港地でもあり、
往時は多くの船が碇泊していました。
「温泉津温泉入口(港側)」。
北側の谷が温泉津温泉のメイン通り。
海側から山側へ情緒ある街並みを進みます。
「庄屋内藤家屋敷」。
少し進むと右側に現れる庄屋内藤家屋敷。
内藤家は毛利元就の家臣だったようで、
沖泊南西にあった鵜丸城の初代奉行となり、
後に帰農して代々温泉津の庄屋を務め、
廻船問屋や酒屋も営んでいたとのこと。
道は緩やかに北側へ曲り、
十字路を東側に進みます。
温泉街は更に風情を増して続きます。
「薬師湯」。
温泉津温泉の公衆浴場のひとつ薬師湯。
施設裏地下2~3mからの自然湧出の湯で、
その源泉の温度は約46度と、
何も手を加えずに湯船に注いでいるという。
薬師湯前の路地。
温泉旅館が軒を連ねて映える風景。
「泉薬湯(元湯温泉)」。
もうひとつの公衆浴場和泉薬湯。
この地に自然自噴していた温泉に、
仮屋を建てて温泉場を創ったのが、
創業者伊藤家初代の伊藤重佐という。
源泉からの距離は1~1.6mと非常に近く、
湧き出したままの湯が味わえるとのこと。
「温光寺」。
泉薬湯の裏手にある伊藤家の私寺。
狭い境内に薬師堂と地蔵堂があります。
薬師堂には薬師瑠璃光如来を本尊に、
日光菩薩と月光菩薩を脇侍して安置。
地蔵堂に安置されている石仏は、
安永地震の際に源泉が埋没し、
その復旧の際に出土したとされます。
「原爆症適應記念碑」。
元湯が原爆後遺症に適応した事を記念し、
広島原爆被爆者らの浄財で造られた記念碑。
元湯温泉で湯治した被爆者の症状が好転し、
これが医学的にも証明されたとのこと。
寺の裏手の崖上に古代の源泉の跡があり、
狸が見つけた温泉のとされています。
街道筋に戻り更に東へ。
温泉街はこの辺りまで。
角にある碑は「正明井戸君碑」で、
芋代官井戸平左衛門を讃えるもの。
井戸平左衛門は19代大森代官で、
享保の大飢饉の際に窮民救済の為、
様々な施策を講じてこれを救い、
中でもサツマイモの栽培を奨励して、
領民から芋代官と称えられた人物。
彼の碑は中国4県に533基もあるらしく、
それ程感謝されていたのでしょう。
■山陰街道の宿場町
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