沖泊は大田市温泉津町にある湾で、
世界遺産「石見銀山」の構成資産です。
石見銀山で産出した銀を陸送した後、
この沖泊で積み出したという。
「沖泊」。
周辺にも多くの谷状の湾がありますが、
どれも北西方向に開いている為、
冬季の季節風を受けやすくなっていますが、
この沖泊は西側に開いているので、
波の影響を受けにくかったようです。
湾の中間辺りに鼻ぐり岩が多数あり、
そこに船を係留していたとされ、
湾の奥ではなく沖側に碇泊させた為、
沖泊と呼ばれるようになった模様。
江戸期の記録によると、
沖泊の船舶係留は70艘であったようで、
これは近隣の温泉津浦が50艘なのに対し、
異常な混雑具合だった事が伺えます。
※面積的には温泉津浦が10倍程広い。
「沖泊の集落」。
雰囲気ある家並みを残す沖泊の集落。
銀の積出以外にも北前船も寄港しており、
その名残で土蔵も残っています。
沖泊周辺の地図。
大きな温泉津浦は北西を向いていますが、
沖泊は真西を向いています。
毛利家時代には入口両側に城を配置し、
防御面でも優れていました。
沖泊の北西にある櫛島へ。
「櫛島」。
沖泊への風や波を遮る櫛島。
かつては「櫛山城」が築かれていたようで、
軍事的にも沖泊を守っていたようです。
※南側の対岸には「鵜丸城」もありました。
櫛島の名前の由来として伝わるのは、
承久の乱で隠岐に流された後鳥羽上皇が、
嵐でこの島に漂着した際に、
世話になった古老に櫛を与えた事から。
この辺りの岩は柔らかく加工しやすい岩質で、
周辺の海岸には砕石の跡が点在しています。
丸く採石した跡が残る櫛島海岸の採石跡。
臼や井戸枠、社寺の礎石を採石したもの。
櫛島に面した海食台上に残る方形の採石跡。
同じ規格で石を切り出した跡とされます。
海岸で採石されたのは岩質も重要ですが、
切ってすぐに船に積み込める為、
輸送も便利であった事も理由でしょう。
櫛島西側の入江。
往時は70艘も係留されていたようですが、
ここにも舟が入っていたことでしょう。
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