物部神社は島根県大田市にある石見国一宮。
宮中でも行われる鎮魂祭が行われる神社で、
石上神宮や彌彦神社と共に知られており、
主祭神の宇摩志麻遅命が鶴に乗り、
降臨したという伝説があることから、
神紋は「日負鶴」となっています。
「大鳥居」。
拝殿正面に建つ木製の明神鳥居。
木造の鳥居としては県内最大の大きさ。
創建1500年記念事業の一環として、
平成25年に建てられました。
「拝殿」。
入母屋造銅板葺の拝殿。
昭和12年に改築されたもので、
台湾から輸入した檜を用材としています。
本殿は県内で出雲大社に次ぐ大きさで、
春日造では日本一の規模を誇ります。
継体天皇8年(513)に初めて創建され、
これにまでの3度消失しました。
現在の本殿は安政3年(1856)の改修。
「後神社」。
宇摩志麻遅命の妃神師長姫命を祀る摂社。
2本の杉の木が前面に聳えています。
「一瓶社」。
佐比売山三瓶大明神を祀る末社。
石見国を制した宇摩志麻遅命は、
3つの瓶を各所に納め平和を祈ったとされ、
その1つがこの一瓶社であるという。
2つめは浮布池の邇幣姫神社で、
3つめは三瓶山山麓の高田八幡宮とされ、
これが三瓶山の由来とされています。
「岩谷九十老翁威頌徳碑」。
境内に建てられている岩谷九十老の碑。
九十老は豪農岩谷孝兵衛の七男でしたが、
小作農に預けて育てられており、
貧しい幼少期を過ごしました。
実家に戻ってからも使用人同様に働きつつ、
近所の医師に学問を習っていたという。
17歳の頃に自宅の新築工事を一任され、
職人の手配や工事の指揮、材料の確保まで、
全責任を負って工事を完了させます。
これを認められてか26歳で家督を相続。
その後は殖産興業に励み、
養蚕業の振興、用水路の整備の他、
塾も開いて周辺の子供らに学問を学ばせ、
地域の発展に貢献しました。
また当時荒廃していた物部神社を、
社殿を改築して復興。
天保8年(1837)より新嘗祭へ稲穂献上を願い、
大森代官所、大森県、浜田県と出願を続け、
明治19年に稲穂献上が実現しています。
九十老は明治28年に死去しますが、
人々は彼を[石見尊徳]と称えたという。
社伝によれば宇摩志麻遅命は、
神武天皇の大和平定を助けた後、
一族を率いて美濃国や越前国を平定し、
その後に石見国で歿したという。
亡骸は社殿背後にある八百山に葬られ、
その南麓に社殿が創建されるに至り、
これが物部神社の創始とされます。
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