下関市一の宮 住吉神社(再訪)

神道では神の霊魂は2つの側面を持ち、
優しく平和的な和魂と、
荒々く攻撃的な荒魂があるとされ、
同じ神でも全く違う性格を持っていました。

住吉三神表筒男命中筒男命
底筒男命の三神で、
イザナギ命イザナミ命を、
黄泉国から連れ戻そうとして失敗し、
黄泉国の汚穢を洗い清めるを行った際、
この三神が生まれたとされます。
神功皇后三韓征伐の際に三神が味方し、
新羅高麗百済の三韓を従わせますが、
その帰途に、
我が荒魂を穴門の山田邑に祀れ
と神託された為に祠を建てたのが、
下関の住吉神社の起源であるという。


一の鳥居」。
道路沿いの巨大な大鳥居。
住吉三神を祀る神社は約600社とされ、
中でも総本社の大阪市の住吉神社
始祖の説もある福岡市の住吉神社と共に、
下関の住吉神社は三大住吉と称されており、
また長門一宮の社格も得ています。


境内はそれほど広くなく、
一の鳥居から拝殿までは100m弱程度。
もちろん一の鳥居の前には、
一直線の道が300m延びていますので、
かつての参道であった事が窺えます。


拝殿」及び「本殿」。
拝殿毛利元就の寄進によるもので、
切妻造檜皮葺のもの。国指定重要文化財
本殿は大内家9代大内弘世の造営で、
大変貴重で美しい九間社流造
国宝に指定されています。
その由緒から軍事海上安全の神として、
武家からの崇敬を受けており、
源頼朝からの歴代将軍の寄進を受け、
大内家毛利家によって敬われました。

下関戦争では四ヶ国艦隊からの砲撃により、
各砲台が沈黙してフランス陸戦隊が上陸。
混戦となった末に一の宮あたりにまで、
長州軍の諸隊は退却しました。
宮司の家も臨時の営所となっており、
逸れた隊士が続々と集まってきた事から、
緊急の集合場所に決められていたようです。


ウチの子らは顔出しパネルがあると、
どうしても顔を出しちゃう。
そういえばゆきちゃんは5歳ですね。

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