清末八幡宮に隣接する清末護国神社は、
明治13年に清末藩の歴代藩主を祀る為に、
清栄神社として創建され、
後に国事に殉じた77柱を合祀して、
清末護国神社と改称したもの。
「清末御國神社」。
初代藩主や歴代藩主を祀る神社は、
明治初期に各地に創建されますが、
清末にも藩主を祀る神社が建てられました。
これに清末藩の戦死者も合祀され、
招魂社として護国神社となっています。
社殿前の石燈籠には毛利家の名がずらり。
向かって右側の石燈籠。右から、
毛利元昭
最後の長州藩藩主毛利元徳の長男。
毛利宗家29代当主。
毛利元雄
最後の長府藩主毛利元敏の長男。
長府毛利家15代当主。
毛利元秀
徳山毛利家10代当主毛利元功の次男。
徳山毛利家11代当主。
毛利元恒
清末毛利家9代当主毛利元忠の長男。
清末毛利家10代当主。
向かって左側の石燈籠。右から、
吉川元光
岩国藩2代藩主吉川経健の養嫡子で、
吉川宗家14代当主。
小早川四郎
最後の長州藩藩主毛利元徳の四男。
小早川家を再興した兄の跡を継ぐ。
毛利五郎
最後の長州藩主毛利元徳の五男。
新たに分家を創設。
吉川重國
吉川家の分家当主。元光の弟。
宗家と4支藩家+小早川家が並んでおり、
維新後も一族が纏まっていた様子が、
よくわかりますね。
社殿の横にある空地。
6年前にここに来た際には、
招魂墓がいくつかあった気がしましたが、
撤去されてしまったのでしょうか?
ここには育英隊の招魂場があったようですが、
後に桜山招魂場と合祀されており、
その名残があったと記憶していますが、
残念ながらなくなっていました。
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