[田舎なれども南部の国は西も東も金の山]
盛岡藩ぼ領地だった鹿角郡は金山が多く、
白根金山はその最も早く発見されたもの。
慶長3年(1598)に南部家当主南部信直は、
秋田実季との領地の境を検分する為、
重臣北十左衛門信景を鹿角郡に派遣。
北はそこで偶然にも金山を発見した為、… 続きを読む
秋田県鹿角市 白根金山跡
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[田舎なれども南部の国は西も東も金の山]
盛岡藩ぼ領地だった鹿角郡は金山が多く、
白根金山はその最も早く発見されたもの。
慶長3年(1598)に南部家当主南部信直は、
秋田実季との領地の境を検分する為、
重臣北十左衛門信景を鹿角郡に派遣。
北はそこで偶然にも金山を発見した為、… 続きを読む
文久元年に小坂村の農民小林興作が、
小坂の相内で鉱山を発見し、
小笠原甚左衛門らと金や銀、銅を採掘。
これを知った盛岡藩は調査を開始し、
慶応2年に技術者… 続きを読む
朝来市生野町にある口銀谷。
日本有数の鉱山生野銀山の鉱山町として栄え、
鉱山と共に発展しました。
時間の関係から生野銀山は訪問出来ず。
せめて鉱山町の街並みを散策しようと、
生野代官所の周辺を歩いてみます。
「生野書院」。
大正期の材木商の邸宅を改修し、
旧家の面影を残す資料館となっています。
古文書や書画等の文化財をはじめ、
銀山関係の資料が展示されているとのこと。… 続きを読む
生野代官所は天領生野にあった代官所で、
但馬国、播磨国、美作国の天領支配の他、
生野銀山の管理を行っていました。
生野銀山は大同2年(807)の開坑とされ、
天文11年(1542)に守護大名山名祐豊により、
本格的な採掘が始められたという。
後に織田信長、… 続きを読む
山田顕義は松下村塾最年少の門下生。
※幕末期の名は山田市之丞。
高杉晋作、久坂玄瑞ら先輩らと共に、
尊皇攘夷運動に邁進しており、
後に大村益次郎から兵学を学び、
幕長戦争、戊辰戦争、… 続きを読む