秋田県鹿角郡 小坂鉱山跡

文久元年に小坂村の農民小林興作が、
小坂の相内で鉱山を発見し、
小笠原甚左衛門らとを採掘。
これを知った盛岡藩は調査を開始し、
慶応2年に技術者大島高仁を派遣します。
大島は小坂を[稀有の良山]と報告した為、
翌年に大島に小坂鉱山開発を命じ、
藩による本格的な鉱山開発が開始。
しかし慶応4年の戊辰戦争勃発の為、
開発は中断される事となりました。
盛岡藩の敗北による影響で、
開発途中で小坂鉱山は荒廃していましたが、
明治3年に官営で開発が再開。
大島が鉱山権正として赴任した事により、
開発と採掘が進められました。
その後は独技師クルト・ネットーや、
留学して新技術を手に入れた大島らにより、
小坂鉱山は大鉱山へと発展。
明治時代初期の富国強兵に貢献しました。

小坂鉱山は既に閉山していますが、
町を支えた小坂鉱山事務所は現存し、
鉱山町のシンボルとして保存。
当時の建物が集まる通りは、
明治百年通りとして観光地となり、
ノスタルジックな雰囲気を感させてくれます。

明治百年通り」。
大きな幟が連なる明治百年通り。
僅か500m程度の通りですが、
明治期よりの近代建築物が多く残され、
かつてのその繁栄を物語っています。
小坂町は東洋一の銅山だったようで、
多くのお雇い外国人とその家族や、
外国で技術を習得した日本人技術者、
採掘や製錬に従事する人々が居住。
当時は先進的な都市だったという。


康楽館」。
慰安施設として建てられた芝居小屋で、
鉱山の従事者やその家族達が、
日頃の疲れを忘れて楽しんだ場所。
日本最古級の芝居小屋として、
現在もほぼ毎日芝居が行われています。
国指定重要文化財


小坂鉱山事務所」。
明治38年竣工の小坂鉱山事務所。
木造3階建のルネッサンス風の建物で、
非常に優雅で華麗な事務所でした。
当時より鉱山のシンボルだったようで、
閉山後は現在地に移築されており、
一般に展示されています。

明治百年通りより実際の鉱山へ。
・・が、残念ながら途中で通行禁止。

小坂精練㈱(小坂鉱山跡)」。
鉱山自体は平成2年に閉山していますが、
鉱山は精錬所に生まれ変わっており、
その技術の応用してリサイクル事業を進め、
金銀銅の他にレアメタルを再生。
新しい産業へと進化しているようです。

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