秋田県鹿角市 白根金山跡

[田舎なれども南部の国は西も東も金の山]
盛岡藩ぼ領地だった鹿角郡は金山が多く、
白根金山はその最も早く発見されたもの。
慶長3年(1598)に南部家当主南部信直は、
秋田実季との領地の境を検分する為、
重臣北十左衛門信景を鹿角郡に派遣。
北はそこで偶然にも金山を発見した為、
金山奉行に任命されてこれを開発し、
盛岡藩の財政に大きく貢献しています。


白根金山跡」。
米代川対岸から眺めた白根金山跡
遠くからでよくかわりませんが、
木々ではない黒灰色の何かがあるようです。
鉱毒処理施設が稼働しているらしいので、
それに関する何かかもしれません。

初期の盛岡藩は非常に潤っていたとされ、
将軍家にも白根金が献上されていました。
金山奉行北十左衛門も金を蓄えたようで、
後に初代藩主南部利直と反りが合わず出奔。
豊臣秀頼の許に参じて大坂で戦いますが、
その際には鉄砲数百挺、500張の他、
自身の名を書いた金箔の矢10000本を、
大坂城に持ち込んだという話もあります。

延宝3年(1675)には山続きに駒木金山を開発。
しかし金の量は多くなかったようで、
後に銅山として運営されました。
更に天和2年(1682)に立石銅山が開発され、
寛文9年(1669)頃には白根は銅山となります。
幕末期には殆ど休止状態だったようで、
僅かに弁柄採取が行われる程度でしたが、
明治期に入ると再開発が行われており、
旧駒木金山が小真木鉱山として再開発。
後に三菱の資本が入るようになると、
金銀鉛の他に亜鉛が産出されました。
鉱山は昭和53年に閉山されていますが、
往時は人が多く活気があったようで、
麓の石野集落は非常に賑わったとのこと。
今はその面影はありません。

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