宇都宮にある二荒山神社は下野国一宮。
同じく下野国一宮に日光の二荒山神社があり、
区別の為に宇都宮二荒山神社とも呼ばれます。
東国鎮守の豊城入彦命を祭神として祀り、
宇都宮は門前町として発展。
地元では[二荒さん]と呼ばれ親しまれました。
「大鳥居」。
樹齢400年の栃木県産ケヤキの大鳥居。
かつての鳥居は先の大戦の空襲で焼失し、
戦後に明神鳥居が建てられていましたが、
平成20年に老築化で建て替えられました。
「参道の石段」。
石段は95段と丁度良い(?)。
二荒山神社の境内地は明神山の山頂。
市内塙田の成高寺9世啓磐禅師は、
光明寺を開山する際の建材として、
明神山の杉の木を勝手に伐採します。
その後に近所の老人が昼寝をしていると、
夢の中に白衣の人物が現れ、
「神木を伐採した啓磐を罰したいが、
非常に学職のある名僧なので、
梵天王の許しを受けようと思うので、
天上に行くから汝の白馬を借りたい」。
と言って姿を消しました。
老人が驚いて目を覚まし帰ってみると、
大切に育てていた白馬が消えており、
翌朝に疲れた様子で帰って来る。
この事を老人が啓磐禅師に話し、
驚いた禅師は仏の助けに頼るしかないと、
更に勤行に励むようになります。
しかしある日の事、
突然の来客に勤行を休んで話していると、
そのまま寝入ってしまい夢を見る。
禅師の夢の中には韋駄天が現れ、
「梵天王から命を絶つよう命じられたが、
汝の身の周りに経文が満ちているので、
矢を射る事が出来なかった。
しかし今日は経文が薄くなっている」と、
韋駄天が放った矢が足の甲に当った。
驚いた禅師は飛び起きると誰もおらず、
ただ足が少し痛むだけであった。
禅師はつい勤行を怠ってしまったと後悔し、
その後は勤行を怠らずに過ごして、
そのまま天寿を全うしたとのこと。
「神門」。
境内は数度の火災に見舞われており、
その都度再建されています。
この神門は明治10年に再建されたもの。
「拝殿」。
社殿は宇都宮戦争の戦火により焼失し、
明治10年に仮社殿として再建。
これがそのまま現在に至ってます。
主祭神である豊城入彦命は、
10代崇神天皇の第一皇子であり、
11代垂仁天皇の異母兄。
父帝の命で東国を鎮めたとされ、
この為に東国鎮守の神として祀られます。
慶応4年4月19日、
旧幕府軍は宇都宮城を攻撃します。
仏式訓練を施された精鋭部隊は、
宇都宮藩兵を蹴散らして城下に放火。
英巌寺に軟禁された板倉勝静を救出し、
城下で宇都宮藩兵と交戦しました。
二荒山神社境内には戦闘を見物する為、
多くの民衆が集まっていましたが、
昼頃には旧幕府軍が境内に押し寄せ、
民衆らは退散し境内は旧幕府軍が占拠。
城下は激しく燃え広がって黒煙にまみれ、
視界も遮られる状況となります。
宇都宮藩及び新政府軍は撤退を決断し、
二ノ丸御殿に火を放って逃走。
城下の火災は夜通し燃え続け、
二荒山神社にも燃え移ってしまい、
社殿は灰塵に帰してしまいました。
翌20日に旧幕府軍は宇都宮城へ入城。
更に21日には壬生に向かい、
22日に新政府軍と交戦しますが、
激しい抵抗を受けた為に撤退しています。
23日には新政府軍が宇都宮城に進軍。
小高い二荒山神社境内は陣地となり、
歩兵第七連隊がその守りを固めて、
迫りくる新政府軍を迎え撃ってますが、
激しい山砲の砲撃を喰らって陥落し、
旧幕府軍は八幡山方面より、
日光山に向けて全軍退却しています。
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