栃木県宇都宮市 宇都宮宿跡①

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宇都宮宿日光街道奥州街道の宿場で、
宇都宮城下に置かれていました。
宇都宮は豊城入彦命を開祖とし、
東国を平定して治めた豊城入彦命を、
神として祀った二荒山神社門前町
神官宇都宮氏が500年統治したとされ、
二荒山神社の別号宇津宮大明神より、
氏族及び地名が称されたという。
慶長3年(1598)には蒲生秀行が入封し、
宇都宮城を近世城郭へと継承させ、
次に入った本多正純が城下の改修を行い、
城下町の基礎を創り上げました。
また街道の交差する要所でもある為、
城下は宿場としても大きく発展。
非常に賑わいを魅せたようです。


宇都宮市街地周辺。緑の線が奥州街道で、
青い線が日光街道。
青でぼかした辺りが宇都宮宿跡。

早朝雨。
宇都宮宿跡は都市中心部であり、
昼間に歩くのは困難と判断し、
午前4時半より宿を出て散策開始。
宇都宮駅方面から幸橋方向へ。

旧篠原家住宅」。
駅から幸橋い行く途中にある商家で、
醤油醸造を営んだ堺屋篠原家の旧宅。
明治期は肥料の販売を始めたようで、
昭和になると倉庫業も営んだとのこと。
宇都宮は空襲の被害にも遭っており、
周辺の建物の中で唯一残ったようです。


幸橋」。
田川に架かる幸橋。
一応ここを奥羽側の宿場入口とします。
幸橋は江戸初期に架けられた木橋で、
江戸期は上河原橋と呼ばれていましたが、
明治14年に陸軍大演習が行われ、
明治天皇がこれを天覧。
これを記念して幸橋に改称されました。


上河原町」。
上河原町には古くからが立ち、
庶民が集まって賑わっていました。
後に奥州街道の街道筋となった為、
参勤交代大名行列に支障があるとして、
寛永11年(1635)より初市のみが、
上河原町で催される事が許されたという。

上河原町より大通りを越えて右折。

大町」。
奥平大膳大夫家昌が藩主であった頃、
市(大膳市)が開かれていたようです。
一と六の付く日に市が開かれて、
大変賑わっていたとのこと。
問屋が集まる問屋街でもありました。

県道35号線に突き当たると南下し、
桝形となってそこから右の日野町へ。

日野町」。
蒲生秀行の頃よりあった町で、
近江国日野の商人を呼び寄せて、
ここに住まわせたのが始まり。
荒物屋呉服屋小間物屋等、
商店が軒を並べていたようです。
少し蛇行した道が街道っぽい。


オリオン通り(曲師町)」。
日野町を抜けるとアーケード。
名称は一条町江野町曲師町の三町から、
オリオン星座に因んだという。
曲師町は桧や杉の板を曲げる職人が、
多く住んだ事に由来します。


鉄砲町」。
アーケードの途中から北上すると鉄砲町
宇都宮氏の時代に鉄砲鍛冶が居住し、
江戸時代は塗物師絵師鋳物師
表具師米屋菓子屋等様々な職人や、
商人が住んでいたようです。


鉄砲町の途中より路地へ。
この先に行在所跡があります。


明治天皇行在所向明館跡」。
豪商鈴木久右衛門邸宅跡で、
向明館と名付けられた豪邸だったという。
明治天皇はこの向明館の庭園を気に入り、
2度の宇都宮滞在で行在所となりましたが、
建物は空襲で焼失しています。

つづく。
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