福岡県大牟田市 慧日寺/小野家墓所

慧日寺は大牟田市岩本にある黄檗宗寺院。
柳河藩立花家菩提寺福厳寺の4世霊峰和尚が、
荒廃していた浄土宗永昌寺(栄勝寺)を再興し、
宝永2年(1705)に開山したものという。


本堂」。
創建には柳河藩家老小野隆幸が貢献し、
小野家は慧日寺の有力な檀越となります。
隆幸以降の小野家歴代当主墓地もあり、
小野家によって庇護を受けて隆盛。
本堂は宝永5年(1708)の建築で、
延享2年(1745)に改築され、
更に天保10年(1839)に大修復しており、
これが現在の本堂となりました。

小野家の墓所は境内の東側。

小野家墓所」。
小野家は藤原道長を遠祖とし、
道長の孫藤原祐家の子孫と自称。
祐家の住居「小野宮第」に因み、
小野姓を名乗ったとしています。
18代当主小野鎮幸立花宗茂に仕え、
数々の戦で67ヶ所の傷を受け、
68枚の感状を得た剛の者。
由布惟信と共に立花双璧と讃えられ、
日本槍柱七本にも数えられました。
宗茂改易後は加藤清正に仕えますが、
放浪の宗茂に生活費を送り続け、
慶長14年(1609)に死去。
後に宗茂は柳河藩に復帰しており、
鎮幸の跡を継いだ19代小野茂高が、
加藤家を辞して立花家に復帰しています。


大雲院殿革翁義因大居士」。
20代当主小野正俊の墓。
正俊は19代茂高の子に生まれ、
寛永3年(1626)に家督を相続。
島原の乱にも出陣しており、
家臣が奮戦して多く戦死者が出ました。
寛文12年(1672)に死去。


高源院殿梅室道香大居士 尊霊」。
21代当主小野眞俊の墓。
眞俊は20代正俊の子でしたが、
家督を継ぐ事なく33歳で早世しました。
とはいえ当主として数えるようです。


慧日寺殿嗣法徳隆元睴大居士之塔」。
22代当主小野隆幸の墓。
父眞俊が家督相続前に死去していた為、
祖父正俊の死去に伴い7歳で家督を相続。
霊峰和尚の高徳を慕い、
日蓮宗より黄檗宗に改宗しており、
慧日寺の創建に尽力しました。


慧月院殿嗣法隆興淨融大居士之墖」。
23代当主小野春信の墓。
立花勝兵衛虎良の子として生まれ、
22代隆幸の養子となり家督を相続。
江戸城城門修理総奉行を務め、
内証方上聞大坂蔵元の用、
伊勢太神宮代参を行う等、
藩政に寄与した功績が認められ、
享保6年(1721)に平野山を賜わりました。
拝領後は直ちに採炭事業を開始し、
廃藩後に官営となるまで小野家が管理。
宝暦4年(1754)に死去しています。


大慈院殿観山了音大居士(左)」、
濬哲院殿寛裕宗仁大居士之墖(右)」。
24代当主小野隆局の墓と、
25代当主小野隆儀の墓。
※隆局の墓は風化で墓碑銘読めず。
 戒名は別資料を参照しました。
24代隆局は23代春信の三男に生まれ、
父の隠居後に家督を相続します。
内証方上聞等の諸役を務め、
安永3年(1774)に死去。
25代隆儀は24代隆局の次男に生まれ、
小野隆宣の卒去に伴い嫡子となり、
家督を継いで家老となりました。
享和元年(1801)、死去。


寛哲院殿賢良宗忠大居士塔(右)」、
顯誠院殿宗達義光日春大居士(左)」。
26代当主小野賢良の墓と、
27代当主小野寛隆の墓。
26代賢良は25代隆儀の嫡男で、
父の死去に伴い家督を相続。
諸役の他に三柱宮造営を担当し、
その完成後に藩主に御書御刀を、
幕府より銕鉤(号玉串)を拝領しました。
27代寛隆は26代賢良の嫡男で、
父の隠居により家督を相続します。
家老として諸役を監督し、
安政3年に多年の精勤を讃えられ、
12代藩主立花鑑寛から名刀を拝領。
安政5年には射術師範役を拝命しますが、
文久2年に何らかの事故で死去しました。


大觀院殿廣慧隆基大居士」。
28代当主小野隆基の墓。
立花茂官の次男に生まれ、
27代寛隆の養嫡子となり家督を相続。
長州征伐では小倉口に出陣し、
城野村に宿営しました。
帰陣後は評定局総督となりますが、
翌年に病気を得て辞任。
明治2年には執政となっており、
後に大参事に昇進しています。
廃藩後の明治6年に炭鉱を政府に売却。
明治9年に九州を襲った暴風災害では、
三池郡窮民の救済に尽力。
明治10年の西南戦争の際は、
軍用銃器を政府軍に奉献しました。
大正4年、死去。

三池炭鉱は日本の近代化を支えた炭鉱で、
世界遺産にも登録されています。
その始まりは小野春信が始めた採掘で、
柳河藩領の採掘は全て小野家が管理。
※後に三池藩も採掘を開始しており、
 境界争いも発生しました。

明治期に官営となりましたが、
後に三井組に払い下げられており、
三井三池炭鉱として近代鉱山に発展します。
先の大戦後には数度の大惨事が発生し、
多くの犠牲者や負傷者を出しました。
やがてエネルギーが石炭から石油に移り、
次第に採算が取れなくなってきた為、
平成9年に三井三池炭鉱は閉山。
276年続いた炭鉱はその幕を下ろしました。

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