有福温泉は島根県江津市にある温泉街。
雛壇の様に斜面に旅館が建ち並び、
複雑に石段が入り組んだ景観は、
古くからの温泉街の雰囲気を残しています。
「有福温泉」。
白雉2年(651)の開湯とされており、
天竺より渡来した僧法道が発見したという。
建武年間(1334-1336)に福泉寺が創建され、
寺の慈善事業として人々を湯治させており、
これが起源という説もあるようです。
有福周辺は豪族福屋氏の根拠地でしたが、
毛利元就の侵攻により福屋氏は滅亡。
周辺は吉川元春の管轄とされました。
江戸時代に入ると湯治を希望する人々が増え、
これを嫌った福泉寺は北の集落に移転。
以降は旅館が建てられるようになって、
温泉街へと変化していく事となります。
明治時代になっても温泉街として続き、
大正期には16軒の旅館があったようですが、
その全てが外湯形式であったという。
大戦後の高度成長期には近代化が進み、
内湯を有したホテルも建てられるようになり、
客数が増えて一大温泉地へと成長。
しかしバブル崩壊後は客足が減少し、
旅館の閉業も相次ぎましたが、
近年になって官民一体で再生事業が開始され、
旅館の修復や改修、廃業した店舗を改装し、
カフェやバーをオープンさせます。
また情緒ある雰囲気が注目されるようになり、
活気ある温泉街へと変貌。
訪問時はGW中だった事もあってか、
多くの温泉客で結構な混雑具合でした。
上記の様に本来有福温泉は外湯が主流で、
内湯は最近になってから。
現在も有福温泉には3つの外湯があります。
「やよい湯」。
大正3年に整備された公衆浴場。
3つの外湯の中では最もぬるい湯とのことで、
比較的ゆっくり入浴することができるらしい。
「さつき湯」。
昭和3年に整備された公衆浴場。
3つ外湯の中では適度な温度とのこと。
適度というのはよくわかりませんが、
3つの中では中間な温度なのでしょう。
「御前湯」。
大正期のモダンな建物で知られる公衆浴場。
3つの中では最も熱い温度とのこと。
江戸期には平民の入浴は許されず、
武士や僧侶の入浴のみ許されたようです。
今回は家族と共に御前湯に入浴しましたが、
それ程熱いとは思いませんでしたし、
子供らも気に入っていました。
貸し切りの家族風呂もあります。
「薬師堂」。
御前湯の裏手のある薬師堂。
天竺の僧法道が諸国を廻っている際に、
この谷で湧出する温泉を発見したとされ、
法道は自身が持っていた金堂観音菩薩像と、
自分で彫った石体薬師像を安置して、
この地を去って行ったという。
里人が試しにその温泉で湯浴みしてみると、
心身爽快で病にも大変効いたとのこと。
また法道が上記の2体の仏像を安置した際、
温泉が湧き出たとも伝わるらしい。
これがこの薬師堂の由緒とされており、
今も有福温泉を守護し続けています。
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