徳佐は長門国の最東端に位置する宿場町で、
阿武川上流の支流が盆地を形成し、
農業が盛んに行われていたという。
徳佐の地名は南北朝時代からの古いもので、
十種ヶ峰の南麗に位置する事から、
※十種神宝を埋めた伝説が残る山で、
「とくさがみね」と読みます。
標高が約300mと高冷地である為、
冬には雪が降る場所ですが、
これを利用してリンゴ栽培が行われ、
徳佐リンゴというブランドとなっています。
阿東町徳佐周辺。緑の線が街道筋で、
青くぼかした辺りが徳佐宿跡。
「徳佐宿」。
徳佐は既に周防国ではありますが、
石州瓦の家々が建ち並んでいます。
冬は雪が降るので凍害に強い石州瓦は、
この辺りでは必需品かもしれません。
徳佐は古くから陰陽連絡の要衝であり、
国境の村として重要視されていました。
「椿家本陣門」。
徳佐御本陣椿家の門。
徳佐には脇本陣含めて3つの本陣が置かれ、
このうちの2つが椿家であったという。
※もうひとつの本陣な何家かは不明。
そもそも本陣2の脇本陣1なのか、
本陣1の脇本陣2なのかわかりません。
現在は門だけが残っています。
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