熊本県八代市 春光寺/松井家墓所(新廟)

松井家墓所のある春光寺には一度訪問澄み。
熊本県八代市 春光寺/松井家墓所(旧廟)
しかしながら墓所が2ヶ所ある事を知らず、
旧廟のみの参拝で帰っていた為、
再び春光寺を訪れました。


新廟」。
旧廟から更に登って行くとあります。
霊屋無しの一族と思われる墓所もあり、
松井一族でここを墓所としたようです。


英巌院殿前八代城主観瑞雄道大居士(右)」、
貞照院殿圓室自性大姉(左)」。
7代当主松井営之の墓と後室テルの墓。
6代松井豊之の長男に生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
治世は寛政の改革に至る時代で、
天明の大飢饉や一揆が多発しています。


願功院殿前八代城主鐵巖良肝大居士(右)」、
明鏡院殿清蕫慈光大姉(左)」。
8代当主松井徴之の墓と室リノの墓。
7代営之の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
12年の治世の後に隠居しています。


廣鑑院殿前八代城主天真圓明大居士(左)」、
松月院殿琴室涼貞大姉(右)」。
9代当主松井督之の墓と室サチの墓。
分家の古城松井家4代松井賀之の二男で、
8代徴之の嫡男松井存之が早逝した為、
養嫡子となって家督を相続しています。
24年の治世の後に死去。


眞徳院殿前八代城主一水義閑大居士(左)」、
貞操院殿賢室慈誠大姉(右)」。
10代当主松井章之の墓と室コトの墓。
8代徴之の三男として生まれましたが、
既に督之が養嫡子となっていた為、
その養子として迎えられています。
養父督之の死去に伴い家督を相続すると、
黒船来航等で軍備増強が叫ばれはじめ、
池辺啓太を招いて高島流砲術を学び、
火器砲術等を研究しました。
隠居後も長く生きており、
明治20年に死去しています。


慶霊院殿前八代城主松賢鶴翁大居士(右)」、
貞観院殿智光妙映大姉(左)」。
11代当主松井盈之の墓と室ツチの墓。
10代章之の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続。
維新後は熊本藩大参事を努めますが、
後にこれを辞した際は、
10代続いた八代城主の任も解かれます。


峻巖院殿南山宗剛大居士(右)」、
貞松院殿節潭妙操大姉(左)」。
12代当主松井敏之の墓と室ヤヨの墓。
11代盈之の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続します。
西南戦争では旧熊本藩士らに対して、
西郷軍に協力しないよう呼び掛けており、
この功によって正六位を与えられました。
松井家は3万石を有していましたが、
熊本藩の家臣であった為に爵位は得られず、
叙爵請願運動を繰り返しています。
しかしこれが叶ったのは明治25年の事で、
西南戦争での勲功を理由として、
男爵従五位が与えられました。

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 松井家が城主を務めた熊本藩の支城。