福田侠平」タグアーカイブ

山口県山口市 興隆寺妙見社

興隆寺推古天皇の時代(593-628)に、
百済より渡来した琳聖太子が建立した寺院。
琳聖太子は百済の王族(聖明王第3王子)で、
周防大内氏の祖とされています。
※諸説あり。
大内氏が隆盛する頃には同様に栄え、
氷上山全域に僧房や堂宇が建ち並びますが、
大内氏滅亡後に毛利家の庇護を得るも、… 続きを読む

下関市吉田 東行庵/福田侠平の墓

高杉晋作の墓の隣は妻雅子の墓ではなく、
奇兵隊軍監福田侠平の墓となっています。
これは福田の遺言に沿ったものですが、
隣とはいえ10m程離されました。
後に隣に奥方の墓が建てられるように、
わざわざ開けられたと推測しますが、
雅子らの累代墓は少し離れて建てられた為、
微妙に離れた晋作と福田の墓だけが、
広いスペースに並んでいます。


福田公明墓」。
福田は長州藩士十川権右衛門続きを読む

山口県山口市 福田侠平遺髪墓

奇兵隊の軍監であった福田侠平は、
高杉晋作が最も信頼していた人物とされ、
自身も晋作に心酔していたようで、
晋作の隣に葬って欲しいと遺言しています。
奇兵隊の中でも比較的年長者であった為か、
周囲に比べて冷静な人物だったようで、
血気盛んな隊士達からも慕われていました。

下関戦争長州内訌戦幕長戦争と歴戦し、
北越戦争では劣勢にも悠々とした態度で臨み、
これを見た部下は安心して戦えたようです。… 続きを読む