廬山寺には慶光天皇の廬山寺陵の他にも、
鎔宮墓(仁孝帝皇子)と、
壽萬宮墓(孝明帝皇女)が宮内庁管轄地ですが、
その他にも多くの皇族の墓があります。
「廬山寺墓地」。
墓地の北側には江戸期の皇族の墓が並び、
他にも… 続きを読む
京都府京都市 廬山寺/中山家墓所
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廬山寺には慶光天皇の廬山寺陵の他にも、
鎔宮墓(仁孝帝皇子)と、
壽萬宮墓(孝明帝皇女)が宮内庁管轄地ですが、
その他にも多くの皇族の墓があります。
「廬山寺墓地」。
墓地の北側には江戸期の皇族の墓が並び、
他にも… 続きを読む
中山家は羽林家の家格を持つ公卿家。
平安末期の内大臣中山忠親を祖とし、
晩年に忠親が洛東中山に居住した為、
中山家を称すようになったとされます。
初代こそ内大臣まで昇進していますが、
以後の子孫は権大納言止まりとなり、
家格としては羽林家に列しました。
13代… 続きを読む
中山神社境内にある中山忠光の墓所。
中山忠光は北浦での逃避行の後、
田耕にある長瀬の渓谷で殺害され、
綾羅木に運ばれて埋められました。
埋葬地には後に墓碑が建てられ、
その霊を慰める為に中山神社が建立。
現在に至っています。
「藤原忠光卿 神靈」。… 続きを読む
黒井村は川棚温泉南西の集落で、
赤間関街道北浦道筋に沿って市が開かれ、
街道の宿駅となっていたという。
下関市街より県道244号を北上。
平成の大合併前の下関市と豊浦町の旧境に、
八本松峠と… 続きを読む
安岡浦は長府藩領の漁村だった場所で、
名前の由来は神功皇后が岡に登り、
そこで安(休)んだ事に由来します。
古来より漁業が盛んであったようで、
多くの船が浦から出漁していたとされ、
対馬や朝鮮沿岸まで行っていたという。
いつの時代からかは不明ですが、
安岡浦の女性が頭に桶を乗せて、
鮮魚やアワビ、… 続きを読む
西市(西ノ市)は赤間関街道北道筋の市宿で、
室町時代より市場が興った場所でした。
木屋川上流よりの産物が集められて、
月に6度も市が開かれたようで、
江戸後期には日本海、響灘、瀬戸内から、
海魚が運ばれて魚市場も発達して、… 続きを読む
光明寺は延徳年間(1489-1492)に、
真宗本願寺派8世蓮如上人の弟子釈正善が、
西市に御堂を建立した事に始まるとされ、
その後は内日、幡生へと移転して、
享保17年(1732)に現在地に移転したという。
「光明寺」。
大東亜戦争… 続きを読む