江戸時代の中之島や土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂は天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。
大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む
大阪府大阪市 長州藩大坂蔵屋敷跡
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江戸時代の中之島や土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂は天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。
大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。… 続きを読む
長州に逃れた中山忠光は潜伏先を転々とし、
田耕の大田新右衛門宅に2ヶ月弱程潜伏し、
その後は更に奥地の四恩寺に向かいます。
これは僕なりの推測なのですが、
脱走を繰り返して辺りを歩き回る忠光に、
幕吏の追求を恐れた長府藩の俗論派は、
四恩寺に座敷牢… 続きを読む
湯玉浦は北浦にある漁村のひとつですが、
鯖釣山が浦を守るように聳えていた為、
良港として漁民のみでなく北前船も寄港し、
旅館なども設置されて栄えていました。
吉田松陰の[廻浦紀略]では、
150戸で近頃200余戸になったと書かれ、
繁栄の様子が感じられます。
「湯玉港」。
現在も小型の漁船が停泊する港町で、… 続きを読む