江戸時代の中之島や土佐堀南岸には、
諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、
各地の米や物産が集められています。
大坂は天下の台所として賑わっており、
全国諸藩の蔵屋敷の数は、
最大で124軒にも及んだという。
大坂市中之島周辺(長州藩蔵屋敷跡の場所)
赤線が長州藩蔵屋敷のあった場所。
なにわ筋と土佐堀通の交差点北東角に、
長州藩蔵屋敷跡の碑が設置されています。
「長州藩蔵屋敷跡」。
蔵屋敷は文字通り米や物産品の蔵の他に、
藩士達が宿泊できる宿舎もありましたので、
桂小五郎、久坂玄瑞ら藩士も泊っており、
また中山忠光もここに宿泊し、
三條実美ら七卿も立ち寄っています。
嘉永6年2月には吉田松陰が訪れますが、
当時松陰は士籍を剥奪されていた為、
蔵屋敷側の常安橋に碇泊した舟に宿泊。
蔵屋敷に泊るのを遠慮したのでしょう。
※記事はこちら。
この蔵屋敷は廃藩置県の際、
元藩主毛利敬親により高野山に寄進され、
真言宗の寺院三蔵院が建立されています。
※現在は三蔵院高野寺に改称。
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