いとこに子供が生まれたということで、
大阪に会いに行きました。
まだ首も据わっていない小さな赤ちゃん。
みよちゃんもこんなときがあったな~。
男の子だったんですが、
足の太さは今のみよちゃんと同じ太さでした。
たくましくなるだろうなぁ~。
さて、せっかく大阪に来たんだから、
適塾くらいは訪問したいなと思い、
みよちゃんを連れて行ってきました。
大阪に長い事住んでいたのに、
一度も適塾には行った事がありませんでした。
昔住んでた所から自転車で行ける距離だったのにね。
「適塾」。
蘭学者緒方洪庵が開いた私塾で、適々塾とも呼ばれます。
塾名の由来は、緒方洪庵の号「適々斎」から。
この塾からは多くの人材が輩出されており、
その面々は蒼々たる顔ぶれ。
橋本左内、大鳥圭介、大村益次郎、久坂玄機、
高松凌雲、武田斐三郎、福沢諭吉・・・。
適塾は現在、大阪大学が管理しており、
拝観できるようになっています。
この適塾の階段ですが、非常に角度があります。
ほとんどハシゴに近い・・。
これを登らないと2階に行けません。
奥の部屋が「ゾーフ部屋」。
蘭和辞書ゾーフ辞書が置かれていた部屋で、
当時、ゾーフ辞書は非常に貴重なもので、
適塾にも1冊しかありませんでした。
その為、塾生達はゾーフ辞書を奪い合うように、
必死に勉強したとの事です。
「塾生大部屋」。
塾生達はここで寝泊りしていたそうで、
塾の成績順で好きな場所が選べたようです。
大村も大鳥も高橋も福沢も、
ここで寝泊りしていたのでしょう。
「大部屋中央の柱」。
刀傷が無数にあり、塾生達が付けたものという。
面白いのかこの柱以外には、全く刀傷が無い事。
塾生達の暗黙の了解があったのか?
それとも洪庵がこの柱だけ許したのか?
適塾横の広場には「緒方洪庵」の銅像があります。
洪庵は蘭学者であると同時にすぐれた医者でもありました。
適塾には全国から塾生が集まりましたが、
実は一番多いのは長州人。
全塾生636名中、長州出身者は56名。
1割近くが長州人でした。
久坂玄瑞の兄久坂玄機や村田良庵(大村益次郎)が有名です。
適塾の隣にある「大阪市立愛珠幼稚園」。
現存する木造の幼稚園園舎としては日本最古で、
校舎は100年以上使われています。
残念ながら現在補修中でした。
適塾の近くの「緒方ビル」にある「除痘館跡」。
除痘館は洪庵を中心して開設された天然痘の予防所で、
牛痘種痘を行いました。
このビルには「除痘館記念資料室」があり、
除痘館の資料が展示されています。
緒方ビルに入ってるテナントは全て病院。
さすがですね。
「懐徳堂旧阯碑」。
懐徳堂は、江戸中期に大坂商人たちが設立した学問所。
明治2年に廃校されるまで、
大坂一の学問所としてその名を広めました。
跡地は日本生命保険相互会社本店本館となっています。
文久2年、緒方洪庵は幕府の度重なる要請により、
奥医師兼西洋医学所頭取として江戸に出仕。
その疲労から翌年、医学所頭取役宅で死去してしまいます。
この江戸行きがなければ、
もっと多くの優秀な人材を教育する事が出来たでしょうし、
もっと多くの人々を助ける事が出来たかもしれませんね。
■関連記事■
・大阪市北区 龍海寺(緒方洪庵墓所)
緒方洪庵の墓所。
・岡山県岡山市 足守陣屋跡
緒方洪庵は足守藩の出身。
・「陽だまりの樹」手塚治虫
手塚治虫の曽祖父も適塾出身でした。