中山忠光が再び下関にやってくると、
これを好機としたのが久坂玄瑞でした。
京で活動していた久坂ら尊攘志士30余人らは、
攘夷期限が決定されると下関に向かい、
自ら攘夷戦に参加しようとします。
ですが京では… 続きを読む
中山忠光は北浦逃避行の末、
田耕で長府藩士によって殺されましたが、
彼らは忠光の遺骸を夜討峠まで運び、
一旦そこに埋めた後に掘り返し、
代わりに血染の衣を埋めています。
豊北町田耕周辺(夜討峠の案内板の場所)
夜討峠は地図の下太田と書かれたあたり。
田耕は地図右上の方向なのですが、
川沿いの街道を通らずに、
密かに山道を進んだようです。
※今回目指す石碑の場所は山中なので、
正確な場所はわかりません。… 続きを読む