元治元年7月9日。
中山忠光は上畑の常光庵で隠棲に入ります。
上畑は袋小路のような谷間で、
忠光の潜伏地としては最適な場所でした。
※現在は南側にトンネルが掘られ、
袋小路ではなくなっていますが、
当時は北側からしか行けませんでした。
豊北町北宇賀上畑周辺(常光庵の場所)。
現在も田園が広がるのどかな風景。
上畑自治会館より奥に入ると見つかります。
「常光庵」。
大専寺… 続きを読む
「中山忠光」タグアーカイブ
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下関市豊浦町 大専寺
中山忠光は幕吏から逃れるために逃避行を続け、
湯玉浦の庄屋石川良平(後の山縣有朋義父)邸で、
2~3日過ごし宇賀本郷の大専寺へ移動します。
実際には幕吏なんて居なかったと思います。
長州領内で大々的な捜査は不可能でしょうし、
公式に大人数を長州領内に派遣して、
捕まりませんでしたでは面子が立ちませんので、
確かな情報がない限り動けないでしょう。… 続きを読む
下関市豊浦町 三恵寺
中山忠光の潜伏先のひとつ三恵寺は、
平安時代初期に実忠和尚が創建した寺で、
川棚温泉発見者怡雲和尚が再興したもの。
怡雲和尚が厄災に苦しむ人々の為に、
仏に祈り続けると枕元に薬師如来が現れ、
古来よりこの土地に棲んでいた青龍と、
病を治す不思議な温泉… 続きを読む
下関市豊浦町 観音院
明治天皇の叔父であった中山忠光。
幕吏から逃れて北浦街道を転住し、
元治元年8月下旬に観音院に潜伏しました。
豊浦町室津上周辺(観音院の場所)
吉母と室津を結ぶ県道245号線より、
細道に入ったところにあります。
山道を行くと梅林… 続きを読む
山口県防府市 富海宿と船蔵
富海は長州藩領の小さな漁村でしたが、
船便での上方の玄関となっており、
また西国街道の宿場町となって栄え、
多くの人々が行き交いました。
青でぼかした辺りが富海宿跡。
緑の線が西国街道の街道筋。
ここが上方への玄関と云われる所以は、
富海が飛船と呼ばれる客船の拠点で、
ここからの海路が一番早かったから。
長州志士はここから上方を目指し、
他国からの志士もここに上陸しています。… 続きを読む
謎の剣豪福永正介
下関市福江 福永正介墓
中山忠光の暗殺犯に関しては諸説あります。
定説は長府名勝旧宅址記の記載により、
長府藩士内田与三郎、佐野正右衛門、
福山吉兵衛、高田吉兵衛、
近木伴右衛門、三浦市太郎、
そして忠光の警護の松村良太郎… 続きを読む