元治元年7月9日。
中山忠光は上畑の常光庵で隠棲に入ります。
上畑は袋小路のような谷間で、
忠光の潜伏地としては最適な場所でした。
※現在は南側にトンネルが掘られ、
袋小路ではなくなっていますが、
当時は北側からしか行けませんでした。
豊北町北宇賀上畑周辺(常光庵の場所)。
現在も田園が広がるのどかな風景。
上畑自治会館より奥に入ると見つかります。
「常光庵」。
大専寺の別寮であったとされており、
現在はトタン屋根の物置となっていますが、
しっかりと現存しています。
形状から当時は茅葺屋根だったと推測され、
僧侶が来た際の宿泊施設たったという。
常光庵という名から察するに、
夜通し明かりが点いていたのでしょう。
「中山忠光卿隠棲の地」碑。
ここを隠棲地と決めた中山忠光でしたが、
攘夷戦が展開されたという噂が届き、
居ても経ってもいられず脱出を試みました。
百姓の裸馬を盗んで下関へ向かいますが、
黒井村で追いつかれ説得されて諦めました。
従者らはこの暴れ馬公卿を隠すのには、
もっと山奥でないと不可能である判断し、
さらに北の田耕村を潜伏地に決めます。
■関連記事■
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