中山忠光は北浦逃避行の末、
田耕で長府藩士によって殺されました。
彼らは忠光の遺骸を一時ここに埋め、
その後、血染の衣を埋めたとされる場所があります。
それが今回訪問した夜討峠。
豊北町田耕周辺(夜討峠の案内板の場所)
※今回目指す石碑の場所は山中なので、
正確な場所はわかりません。
「夜討峠」案内板。
県道270号線沿いの案内板。
個人宅の庭を通って行かなければならないようです。
ご挨拶しようと思いましたが留守のようでした。
小川沿いの道を進みます。
川沿いに続く山道がありましたが、
そちらではなく登り道の方にあります。
※はじめ間違えて川沿いを進んでしまいました。
少し登ると石碑が現れます。
「故侍従中山忠光古蹟」。
暗殺者達は絞殺した中山忠光の遺骸を、
一旦ここに埋めて指示を待ちますが、
この場所では適切ではないと掘り返して、
夜のうちに綾羅木まで運びました。
代わりに血で染められた衣類を埋めたとされています。
絞殺したのに血染めは変ですが、殺害の際にもみ合ったり、
岩場に落ちたりしたとのことですから、その血でしょうか?
暗殺現場である田耕の中山神社にも、
「血染めの岩」がありますので(記事はこちら)、
何らかの血は付いていたのでしょう。
■関連記事■
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下関に潜伏する前の忠光。
・中山忠光の幽霊
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・下関市豊浦町川棚 三恵寺
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室津の忠光潜伏地。
・下関市豊北町田耕 本宮中山神社
忠光が殺害された現場。
・下関市綾羅木 中山神社
忠光を祀る神社と墓所。