中山忠光を祀る中山神社は、
お墓のある綾羅木の中山神社のほかにもう一つあります。
それが今回ご紹介する豊北町の本宮中山神社です。
中山忠光は、尊皇攘夷派公卿の急先鋒で、
光明寺党の党首として下関で外国船砲撃に参加したり、
天誅組の大将として天誅組の変を起こし、
天誅組壊滅後は、長州に逃れて長府藩に匿われでいました。
しかし、禁門の変や第一次長州征伐で俗論派が台頭すると、
潜伏先である豊浦郡田耕村の川原で、殺されてしまいます。
その中山忠光が殺された場所がこの本宮中山神社の周辺。

田園風景から谷に入って川沿いの道にありました。
とても小さな神社です。
何故かメタリックな銀色の鳥居ですね・・・・。

鳥居の先はいい雰囲気の橋です。

橋の下は小川が流れています。
綺麗な水でサワガニやハヤが見えました。
こういう川大好きです。

小さな本堂も何故かメタリック・・・・。
地元の管理者の趣味でしょうか??

本堂の横に「中山忠光朝臣遭難之處」の碑があります。

「中山忠光朝臣遭難之處」の碑のすぐ下に
「血染めの岩」と書かれた碑がありました。
ここで殺されたのでしょう・・・。
吉村虎太郎、久坂玄瑞ら過激派に担がれた若干20歳の公卿は、
京都から遠く離れた山奥で命を奪われたのです。

近くに「大田新右衛門旧宅」という忠光の潜伏地があります。
今も人が住んでいるようです。

帰りになんと鹿がいました。
僕の車を見るなり逃げ出しました。
こんな昼間っから鹿が道を歩いてるとは・・・・。
まあ潜伏するようなところですから、
鹿がいてもおかしくないかもしれませんね。
水も空気も緑もとても綺麗で、自然が素敵な場所でしたが、
京都の雅なところで育った中山忠光は、
この場所をお気に召したのでしょうかね?
■関連記事■
・中山忠光①
下関に潜伏する前の忠光。
・中山忠光の幽霊
殺された忠光は亡霊となって恨みを晴らします。
・下関市延行 中山忠光朝臣隠棲之地
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忠光の遺体を一時埋めた場所。
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川棚の忠光潜伏地。
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・下関市綾羅木 中山神社
忠光を祀る神社と墓所。