中山忠光は幕吏から逃れるために逃避行を続け、
湯玉浦の庄屋石川良平(後の山縣有朋義父)邸で、
2~3日過ごし宇賀本郷の大専寺へ移動します。
実際には幕吏なんて居なかったと思います。
長州領内で大々的な捜査は不可能でしょうし、
公式に大人数を長州領内に派遣して、
捕まりませんでしたでは面子が立ちませんので、
確かな情報がない限り動けないでしょう。
まず潜んでいるであろう隠密が居場所を特定し、
確固たる証拠を掴まねばなりません。
つまり捕吏から逃れるというよりは、
隠密を警戒しての行動ですね。
「大専寺 山門」。
北浦街道(国道191号線)を山側に入り、
山麓にある集落の一番上。
小さいながら凝った造りの立派な楼門です。
山門からは宇賀本郷の田園、
そして眼下には響灘が広がります。
良い天気ならば絶景といったところですが、
残念ながら訪問時は夕方で曇り空。
「大専寺 本堂」。
本堂は鉄筋コンクリート造りの新しいもので、
当時の面影はありません。
山門が良い雰囲気だったので残念。
大専寺へ移動した中山忠光一行でしたが、
潜伏地として適当ではなかったのか、
大専寺の別寮である常光庵に向かいます。
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