天誅組以前の中山忠光④

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中山忠光の父中山忠能は、
出奔した息子を八方手を尽くして捜索。
すると忠光の従者2人が帰ってきて、
忠光は大阪長州藩邸におり、
久坂玄瑞が付き添っていると告げ、
忠光の手紙を渡します。

心配されている事と思いますが、
 自分は皇国の為に尽くします。
 親不孝を許してくださると共に、

 金子を少し工面してください」。
というような内容の手紙で、
兄の正親町公董にも同様の手紙を託けました。

忠能は帰ってこいといった内容の手紙を家臣に持たせ、
すぐ大坂へ向かわせます。
すると今度は久坂玄瑞が中山邸にやってきて、
大坂の長州藩邸にお預かりしていたのですが、
目を離した隙に行方不明になったと告げます。
翌日には大坂にやった家臣も帰ってきて、
大坂の長州藩邸に行ったが、忠光は居なかったと報告。
仕方なく忠能は朝廷に息子の辞官を願い出ます。

忠光は飛船で長州の富海(記事はこちら)に到着。
萩往還を北上して萩城下に入ります。

宿舎は指月城三ノ丸の「花江茶亭(記事はこちら)」。
長州藩は朝廷に対し、忠光の長州入りを報告していますが、
内容は「久坂と入江が大坂で、偶然に侍従様とお会いし、
 四国、九州で義挙しようとしていたと言われるので、
 藩邸にお連れして帰京を勧めましたが聞き入れられず、
 久坂らが外出した隙に行方不明となってしまいました。
 その後、藩用で入江が萩に帰ってきたところ、
 ちょうど同日に萩城下にお見えになったので、
 藩内に滞留されるようにお願いしたところです。
 侍従様は、昨今の時勢に御不満のある様子なので、
 当分の間、当藩に御留めしたいと思います。
 京都出奔の件はどうぞ御寛容に御処置くださいませ
」との事。
忠光の長州入りは全くの偶然で、
藩は出奔には関わってないという報告です。
・・という訳で、長州藩は「偶然にも」錦旗を得たのでした。
しかし、忠光はそんな簡単に扱える手駒ではありません・・・・・。
萩に滞在して3日後、突如として萩から姿を消してしまうのです。

つづく。
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