中山忠光の父中山忠能は、
出奔した息子を八方手を尽くして捜索。
すると忠光の従者2人が帰ってきて、
忠光は大坂の長州藩邸(蔵屋敷)におり、
久坂玄瑞が付き添っていると告げ、
忠光の手紙を渡します。
「心配されている事と思いますが、
自分は皇国の為に尽くします。
親不孝を許してくださると共に、
金子を少し工面してください」。
というような内容の手紙で、
兄の正親町公董にも同様の手紙を託けました。
忠能は帰ってこいという手紙を家臣に持たせ、
すぐに大坂へ向かわせます。
すると今度は久坂玄瑞が中山邸にやってきて、
大坂の長州藩邸にお預かりしていたのですが、
目を離した隙に行方不明になったと告げます。
翌日には大坂にやった家臣も帰ってきて、
藩邸に行ったが忠光は居なかったと報告。
仕方なく忠能は朝廷に息子の辞官を願い出ます。
忠光は飛船で長州の富海に到着。
萩往還を北上して萩城下に入ります。
宿舎は指月城三ノ丸の花江茶亭。
藩は朝廷に忠光の長州入りを報告していますが、
内容は
「久坂と入江が大坂で偶然侍従様とお会いし、
四国、九州で義挙しようと言われるので、
藩邸にお連れして帰京を勧めましたが、
聞き入れられずに久坂らが外出した隙に、
行方不明となってしまいました。
その後、藩用で入江が萩に帰ってきたところ、
ちょうど同日に萩城下にお見えになったので、
滞留されるようにお願いしたところです。
侍従様は昨今の時勢に御不満の様子なので、
当分の間、当藩に御留めしたいと思います。
出奔の件はどうぞ御寛容に御処置下さいませ」
との事。
忠光の長州入りは全くの偶然で、
藩は出奔には関わってないという報告です。
・・という訳で、
長州藩は[偶然にも]錦旗を得たのでした。
しかし忠光はそんな簡単な手駒ではありません。
萩に滞在して3日後、
突如として萩から姿を消してしまうのです。
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