明治天皇の叔父であった中山忠光。
幕吏から逃れて北浦街道を転住し、
元治元年8月下旬に観音院に潜伏しました。
豊浦町室津上周辺(観音院の場所)
吉母と室津を結ぶ県道245号線より、
細道に入ったところにあります。
山道を行くと梅林があり、
春には花を咲かせている事でしょうが、
残念ながら訪問時は冬。
「観音院 本堂」。
当時は西側1km程の場所にありましたが、
廃校となった中学校跡地に移転したとの事。
つまり中山忠光が潜伏したのは、
この場所ではないという事ですね。
googlemapより。
西側1kmは赤丸で囲んだあたりですが、
耕地となって遺構は全くありません。
赤丸内に当時の観音院があり、
そこに潜伏していたという事になります。
長府毛利家の家紋がありますので、
長府藩の保護を受けていたようです。
忠光の潜伏は長府藩主導で行われており、
潜伏先のひとつとして選ばれたのでしょう。
中山はここを出た後に田耕に向かい、
庄屋大田新右衛門邸に入っています。
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