8月11日。
三河屋金兵衛が長州蝋の事で尋ねて来た。
尼崎太七に伊勢みやげの頭赤長箸15膳と、
さじ2つ、えり1枚、菜箸2把、
女扇子1つを渡す。
京都の興膳老人に手紙を出す。
和田長兵衛には襟や煙草などの京みやげを、
由五郎に持って行かせる。
今朝から阿弥陀寺船の者達が、
入れ替わり立ち代わりにやって来て、
夕方から尼崎太七と1盃飲んだ。
夕方より雷が鳴っていた。
※伊勢みやげはまだしも、
大坂人に京土産は珍しくないような。
阿弥陀寺船は下関に行く船でしょうか?
8月12日。
昨夜の雷鳴で長州御蔵など、
10ヶ所で落雷があったらしい。
綿屋長兵衛の母が生菓子を持って来て、
明日の芝居の案内に来たので酒を出す。
本を3冊貸してくれた。
鈴木重胤の著や「神武権衛録」もあった。
※10ヶ所の落雷とは相当のもの。
火災はなかったのでしょうか?
8月13日。
早朝から支度して、妻、綿屋の老母と養女、
下男下女と一緒に道頓堀の茶屋に行く。
綿屋長兵衛が兼ねてから言っていた茶屋で、
その前にある芝居小屋で芝居を見物する。
芝居は朝8時頃から、
夜10時頃まであって、
合間に茶屋で昼食。
芝居中は、酒肴、菓子、お茶を持参した。
※下女は初めて登場しますので、
綿屋の方の下男下女でしょう。
相当長い芝居ですが、
この頃の歌舞伎って1日を費やして、
全段通しをしてたようです。
8月14日。
朝、船方の者が来る。
サコバを見に行く。遅くて肴無し。
道にてイナ3匹、エビ7匹、
小フカ1匹買う。
興膳老人から、手紙、書物類、
大庭伝七宛の染物などが送られて来た。
※サコバとは文面から察するに市場の事?
イナはボラの若いもの。
フカは小型のシロザメです。
8月15日。
三河屋金兵衛が長州蝋の代金と、
生菓子1箱を持参。
弟の大庭伝七から尼崎太七へ、
茶碗が届いたので渡す。
綿屋長兵衛へ一昨日の芝居のお礼に行く。
和田長兵衛宅に立ち寄り、
酒飯などいろいろ馳走になり、
妻からの小買物を頼んだ。
それから天満宮に参り、
天満橋を渡って御城に入り、
上本町を通って高津の宮に参拝。
鳥居前より右に行き、
生玉の社に参った後、天王寺見物。
名産のカブの粕漬を3桶買い、
道頓堀を通って帰る。
※生玉の社は生國魂神社の事。
カブは天王寺の特産物で、
僧の食料として栽培されたもの。
8月16日。
由五郎と順慶町や心斎橋筋辺りで買い物。
留守中に知人の尾崎秀民の使いの者が、
菓子一箱を持って来ていた。
※尾崎秀民は帆足万里門下の豊後の医師。
後に吉田松陰の風邪の治療もしています。
8月17日。
帰り支度にとりかかる。
昼過ぎに帰りの船を網屋与吉船に予約して、
荷物共に運賃2両2分払う。
荷物の積み入れて明朝乗り込むことにする。
伊崎の因幡屋のせがれ兵吉が、
同じ船に乗るということで、
虎屋のまんじゅうを一箱持ってきた。
綿屋長兵衛が来たので、
大徳寺大綱長老の色紙や、
向日神社神主六人部の秋の虫の短冊、
弟の大庭伝七の茶碗などを渡す。
夜になって綿屋長兵衛の使いの者が、
練ようかんを一包み持って来た。
※いよいよ帰り支度。
なにかと菓子折を渡されますが、
それが日本の文化って感じですね。
8月18日。
網屋与吉船に7両借りて手形を渡した。
朝から荷物を積み込む。
昼過ぎに尾崎秀民の使いの者が、
ヒラソを1本持って来た。
和田長兵衛に先日借りた本を返しに行き、
先ほどのヒラソを進物として届ける。
尾崎秀民へは大綱長老の色紙と、
喜撰茶に手紙を添えて持っていく。
高麗橋の淡路屋藤介の大きな古物屋で、
会席膳10人前を買い、
根来椀が入荷したら送るよう頼んだ。
尼崎太七に飯代の他、
お茶代200疋を渡し、
夕方から別盃を催してくれる。
夜になって和田長兵衛に暇乞いをして、
そのまま船に乗り込んだ。
※進物の使い回しはこの頃からあった様。
ヒラソはヒラマサの山口県での呼び名。
8月19日。
今朝から船の賄いを食べる。
船は富島に停泊。終日雨。
※富島は淡路島の北側の港町。
8月20日。
今日も終日雨。船は風待ちで停泊。
8月21日。
早朝出帆。船は終日終夜順調に走る。
8月22日。
追い風に乗って順調に走り、
昼過ぎには讃岐の多度津に着いた。
同乗の13人で金毘羅宮に参る。
香川県仲多度郡 金刀比羅宮①
深夜、船に乗り込み出発。船は夜も走り、
備後のは嶋、もこ嶋という所に繋がる。
※金毘羅宮とは琴平の金刀比羅宮社の事。
は嶋、もこ嶋という場所は不明。
しまなみ海道の加島(か(は)しま)と、
向島(むこう(もこ)じま)の事か?
8月23日。
終日走り、夜に伊予国二神島にかかり寝る。
下関まであと50里ばかりという。
8月24日。
二神島を出て夜明けには上の関沖から、
周防灘を順調に走り、
午後2時過ぎに宇部本山あたりを通る。
夕方、速人明神に無時に到着して参拝。
船中で同乗の者達と別盃、
すぐに手回りの荷物を積み込み、
小舟で阿弥陀寺浜に渡って、
竹崎に帰り着く。
※速人明神とは門司の和布刈神社の事。
8月18日から24日の行程。
これにて白石のお伊勢参りは終わりですが、
伊勢旅行というよりは、
京都、大坂旅行の方が、
メインに感じましたね。
旅行は早々行けるものではないので、
周辺は全部廻ろうと思うだろうし、
用も済ませてやろうと思うでしょう。
特に白石は商人なので商売事が関わります。
妻を連れてのフルムーン旅行は、
よくある武士の旅日記にはありません。
日本最初の新婚旅行をしたのは、
坂本龍馬とお龍とされていますが、
記録が少ないだけで武士以外の庶民は、
新婚旅行に行っていたのかもと、
ふと思ったりします。
旅先の様子は当時の様子が窺えますが、
個人的な内容の日記ですので、
辛口に書いてあったりして楽しいし、
神社は参拝と書いているのに、
お寺は見物と書いているなど、
白石の感覚も面白い旅日記でした。
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