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伊庭八郎は隻腕の剣士として知られます。
僕自身が彼を知ったのは中学時代。
年末時代劇スペシャル五稜郭で、
舘ひろしが演じたもので知りました。
ストイックでニヒルで、
己の信念に殉じる悲劇の剣士。
僕の中ではそんなイメージの人物でしたが、
それを覆すような日記が残されています。
それが[伊庭八郎征西日記]。
伊庭は元治元年1月に講武所剣術方として、
徳川家茂の上洛に随行していますが、
その際に書かれた伊庭の日記を、
友人中根淑が伊庭の死後に編集。
当時22歳の若き日の伊庭を知るうえで、
大変重要な資料となっています。
後に壮絶な生き様を見せる伊庭からは、
とても想像もできないような、
のどかな日常が日記には綴られており、
食事関係が細かに記録されている為、
[グルメ日記]とも称されています。
———–
元治元年正月14日。
無事に大津に到着する。
滋賀県大津市 大津宿跡
※いきなり始まります。
長州人の日記のような高揚感は無し。
正月14日。
明け方上様を伏見にお迎えに上がり、
お供して二条城へ。
京都府京都市 二条城
見物人が蜂のように群がりっていた。
父上が泊まる旅宿に行って挨拶した後、
佐田桂次郎殿の旅宿に同宿。
同18日に父上と御一緒の宿となった。
二条所司代屋敷北定番組屋敷鈴木重兵衛宅。
この家は馬術の師匠という。
※父軍兵衛秀業は先に在京していました。
正月21日。
上様は一橋殿、尾州候ら、
大名30騎程の行列で参内。
講武所方は御道固めを行い奥詰衆が御供。
我々は夜九ッ時頃に宿戻る。
その後に北野天満宮、大社、金閣寺を参拝。
金閣寺は足利義政の建立で見どころは多い。
後で御城代屋敷裏の澤甚で鰻を食べる。
ここは都で一番である。
※華々しい将軍の御所参内ですが、
警備が終わるとさっさと京都見物。
大社は平野神社の事らしい。
京都名所を見学した後、
澤甚の鰻は都一番と絶賛しています。
正月27日。
本日の参内は忠内氏配下の5人余が御供で、
我々の組は不参加。父上は御供に参加。
不破の稽古場で稽古することとなり、
毎日通う。
ここで服部貫之助、金澤新七郎に会った。
青木良助殿が息子二人と共に重詰物を持参。
息子らに100疋を竹刀料として渡す。
長徳院が天王寺かぶ千枚漬けを持ってきた。
山村勘六殿が酒を持ってくる。
奥詰、講武所の者は毎日来た。
※忠内氏は後の陸軍奉行添役、
遊撃隊頭取の忠内次郎三か?
不破の稽古場はどこなのか不明。
息子らの竹刀料はお小遣いですね。
2月1日、2日。
虫歯で稽古を3日休む。
※虫歯で稽古休むって・・・・。
2月3日。
御室街道で出火があった。
2月4日。
御城勤めの始まり。4日に1日の出勤。
御所近辺を拝見。
下鴨明神へ参拝し梅花を見物。
植木屋で休んで酒を飲む。
このあたりの景色は素晴らしい。
帰り道、鴨川辺りで鰻を夕飯に食べた。
金串なので味が悪い。
この店は川魚が名物らしい。
※4日に1日の出勤。羨ましいですね。
鴨川辺りの店の鰻が金串で不味。
鰻は竹串がお好みのようです。
つづく。
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漫画サイトはあまり詳しくないのですが、今ならピッコマというサイトでかなり無料で読めますので是非
早速第三話まで一気に読んでみました。
これは面白いですね。
もう少し読んでからいずれ記事にするかもです。
教えて頂きありがとうございます。
舘ひろしのイメージとは違うのかもしれませんが、漫画の無尽に描かれた伊庭八郎そのものと言う感じ
本当にこんな感じの人だったんだと実感を持てました
征西日記というのがあるのを知ったものの、国会図書館の仮名交じり文読むのも骨だなぁと思っていましたが、このブログを見て改めて読んでみようかと言う気になりました
ありがとうございました
>鎌吉様
コメントありがとうございます。
「MUJIN 無尽」という漫画があるのですね。
調べるとヤングキングアワーズで連載中で、
単行本は11巻までとのこと。
本当にこんな感じというのが気になりますので、
近いうちに読んでみようと思います。
仮名交じり文は読むのは手間ですが、
内容が内容なだけに読んでいても面白く、
読んでしまうと意外に読めちゃうものです。
ブログには他の日記もありますので、
是非ともご覧ください。