つづき。
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6月16日。
朝。五ッ時頃、土山宿を出立。
坂ノ下より関宿へ九ッ時に到着。
三重県亀山市 関宿跡
三郎は病気で難儀している様子。
関宿に一日泊まる。
忠内氏に手紙を出す。宿は粗末。
亀山藩の山崎氏から伝言があり、
返事を出した。
※三郎の病は良くないようですね。
山崎氏というのは山崎雪柳軒で、
伊庭の父伊庭秀業の門弟。
6月17日。
関宿を朝五ッ半時頃に出立。
途中まで山崎氏と大津氏が迎えに来て、
すぐに亀山城下の山崎氏の御宅に行き、
三重県亀山市 亀山宿跡
色々と御馳走になったほか、
医者までお世話して下さった。
葛輪氏にお目にかかり、
淡成斎様より厚くお世話を受けて、
そのうえ御菓子まで頂いた。
夕刻、山崎氏の御宅を出て、
城下町の柏屋と申す飯屋へ泊る。
斎内という医師を殿様より紹介頂き、
その他にも皆々様が来て、
堀池柳外殿もお見舞いに来た。
※伝言は自宅に寄ってくれというもの。
師の子息に持て成しをしたようですね。
葛輪氏は山崎氏の弟子のようですが、
淡成斎様がよくわからない。
山崎氏は亀山藩剣術師範のようですので、
総出の持て成しを受けています。
6月18日。
晴れ。暑くて難儀。
宿へ宿泊代1朱渡す。お医者も来て、
御一同から色々お見舞い頂いた。
山崎氏、大津氏は、
日に3~4回御出でになり、
夜には斎内氏も来た。一本杉の薬を頂く。
※超VIP待遇ですね。
一本杉の薬って何でしょう??
6月19日。
曇り。今日も菓子を頂いた。
三郎の不快は少々マシになった様子。
朝、斎内氏が来た。
夕刻、山崎氏と共に御稽古場に出席。
帰宅後、山崎氏が酒と肴を持ってきた。
堀池氏も来る。
6月20日。
晴れ。早朝に稽古場に出席。
医者の斎内氏が2度診て、
他の御医者も一人来た。
三郎の様子は大いに良し。
堀池柳外殿が煮豆を持ってきた。
源蔵と申す人が鮎を持ってきた。
忠内氏の手紙が岡崎から来た。
※三郎の病気も良くなった様子。
薬と医者2名が効いたのでしょうか?
6月21日。
晴れ。早朝に稽古場に出席。
昼後、山崎氏と共に堀池柳外殿を訪ね、
御馳走を頂戴して夕刻に帰る。
三郎の具合は良く殿様からも金百疋を頂戴。
更に滞在中の賄いも下さるとの事。
6月22日。
晴れ。早朝に稽古場に出席。
昼後、三木助三郎殿が江戸から戻ったので、
会いに行って菓子を貰った。
日々、藩中より見舞物を頂く。
源蔵と申す人が駕籠を修理に来た。
山崎氏宅に行って夕食を御馳走になる。
帰り道に堀池氏宅に行った。
※源蔵と申す人・・
たぶん武士階級ではないのでしょうね。
6月23日。
早朝に稽古場に出席。
昼後、大津氏やその他の藩士達と共に、
泉川に鮎を獲りに行ったが、
全然獲れなかった。
帰りの道中百性屋にて夕飯を食べる。
夜五ッ時頃に帰宅。
※何度か魚を釣りにいっていますが、
いつも不漁の様子です。
あまり向いていないのかもしれませんね。
6月24日。
晴れ。朝に稽古場に出席。
今日までの試合後に形を見せる。
福岡氏が来る。
山崎氏宅が赤飯を炊いて三郎に持ってきた。
堀池氏に長々とお世話になったお礼として、
象牙の箸を差し上げた。夜に帰宅。
6月25日。
晴れ。早朝、忠助を桑名まで遣わす。
唐突ですが、日記はここで終了。
伊庭はその後、無事帰還しました。
日記には何気ない江戸時代の様子が記され、
後に鬼神の様な活躍を見せる伊庭も、
この当時は普通の青年として、
京、大坂見物を楽しんだり、
人々とのふれあいを綴っています。
以上、伊庭八郎の征西日記でした。
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