白石正一郎のお伊勢参り①(下関から宮島へ)

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白石正一郎は数々の志士達との交流や、
奇兵隊関連の記録を日記に記しており、
幕末研究に欠かせない資料を残しています。
これは筆まめな彼の性格の賜物であり、
事件をわざわざ書いていたのではなく、
日々の日記として書かれたものでした。
ですので日常の事柄も当然のように書かれ、
当時の暮らしの様子も知る事ができます。

一生に一度はお伊勢参りへ
という願望が江戸時代の庶民にあって、
江戸期にブームは3回も起きていました。
白石もこの「お伊勢参り」に行っており、
安政3年当時の道中諸国の様子が、
日記に生き生きと描かれています。
長州がまだ平穏であった安政3年当時、
白石は妻加寿子を連れてお伊勢参りに出発。
白石は旅の可否を大歳神社にお伺いを立て、
大変良いという啓示があった為、
喜び勇んで出発することになります。

清末藩御用商人である白石は、
藩にお伺いを立てて許されると、
白石廉作に留守の事を頼みました。

6月10日~11日
許可が下りてさあ出発という段階で、
天候が悪くて出発が伸びてしまい、
出発したのは安政3年6月10日の夜。
その日は縁者が旅のあいさつに訪れる。
小倉屋を出て②堂島の渡しで乗船。
出航せずに船で過ごして、
翌朝に上陸して風呂に入り、
神拝(亀山宮?)後に朝食を食べて再び乗船。
出航するが潮が悪く③阿弥陀寺町で上陸。
網屋市左衛門があいさつに来たので、
船頭に路銀を預けた方が良いかと相談し、
預けた方が良いとの事で30両を預ける。
夜になって母、義母など大勢がやってきて、
船中で酒宴となる。
※阿弥陀寺町までは目と鼻の先。
 関門海峡の潮流は1日に4回変わるので、
 出航できないということは無いはずです。
 母、義母などが来たという事は、
 わざわざ呼びにやったのでしょう。


6月12日。
午後2時頃に阿弥陀寺町の浜から出航。
追い風に恵まれて順調に船は走る。

6月10日~12日の行程。

6月13日。
順調に進んで夜明け前に上関を過ぎ、
日の出頃には周防大島の沖まで来て潮待ち。
そこから見える山々は、
亀山宮から見える門司の風師山の様。
2里ばかり行って大島の瀬戸を通り、
通津浦の北に上陸。
炎暑の中、海沿いを1里半歩き、
岩国に到着。
錦帯橋を見物し川辺の柳の下で歌を詠む。
にしき川あやおる浪の涼しきに
    夏の暑さもわすれ果てつつ

近くの茶屋でうどんを食べ、
1里半歩いてムロノキ村峠の2軒の茶屋で、
名物の力餅を売っているのを見た。
夕方③新湊に出て湯屋で入浴したあと乗船。
鯛2匹を買って酒宴に至り、
船は④宮島に向う。
※川辺の柳は「巖流ゆかりの柳」?
 名物の力餅はよくわかりませんでした。


6月13日の行程。

つづく。

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