吉田松陰の九州遊学①

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嘉永3年。
吉田松陰は前年に北浦巡視を行っていますが(記事はこちら)、
今度は九州への遊学を行っています。
北浦巡視は藩からの命でしたが、今回は自らの見聞を広める為。
平戸藩士で山鹿流軍学者葉山左内を訪ねて、
教えを請うという目的でした。

藩からの許可が下りた8月に長崎を目指して出発。

九州遊学の道筋1

①8月25日未明。
当時、家が間借りしていた清水口高須邸より、
家族に見送られて出発。
新介という従者を連れての2人旅。
※当時の杉家は、松陰の生家である団子岩の家から、
現在の松陰神社境内にある
杉家旧宅に引っ越す前で、
松陰の叔母(杉百合之助の姉)が嫁いだ高須家に、

5年間間借りして住んでいました。

出発して勇んで進み、
戒ヶ坂道の駅萩往還あたり)を越え、
夜明けを迎える。
そのまま絵堂秋吉河原を抜けて、
四郎ヶ原宿に到着(記事はこちら)。
※四郎ヶ原には「吉田松陰投宿之碑」があります。
 残念ながら四郎ヶ原のどの宿に宿泊したかは不明

②8月26日朝出発。
勇んで進むが、前日の疲れが溜まっており、
思うように足が前に進まない。
結局小月宿で馬に乗って赤間関へ。
東本陣の伊藤木工助(杢助、静斎)邸に宿泊。
※本陣伊藤家とは、前年の北浦巡視の時よりの仲。
 当主伊藤杢助は、
坂本龍馬を支援した伊藤久三の先代。
 九三もこの時に松陰と会ったと思われます。

③8月27日。
出発時より微熱気味だったのが、ここへ来て酷くなる。
押して出発しようとしますが、木工助に止められて断念。
尾崎秀民という医者に診てもらい薬を処方される。
この尾崎という医者は豊後人で、日出藩儒者帆足萬里門下。
帆足について語った後、尾崎より帆足の著書を借りて読む。
※帆足萬里は豊後三賢の一人(記事はこちら)。
 儒学者として多くの著書がありますが、
 日出藩家老として財政改革で大きな功績を残しています。

8月28日。
次の日になっても回復しないので出発は控える。
しかし、尾崎が診療に来た頃には熱も下がり、
明日は出発しても問題ないだろうと云われた。
※終日暇だったようで、
 尾崎に借りた帆足の著書2冊を読破しています。

8月29日。
亀山の渡しから船に乗って、
内裡(現在の門司区大里)に到着。
海沿いの道を進んで、赤坂の茶屋で小休憩。
※道中、外敵が攻めてきた場合の対抗策を考察。
 後年この地を攻めたのは、

 自分の門下だとは、夢にも思わなかったでしょう。

小倉城下に入り、豪華な城門を見る。
市中を歩いて通り抜ける。
豊前と筑前の境に至り、一里ほど進んで黒崎宿に到着。
※微熱は未だに続いており、
 黒崎宿の次の小屋瀬宿まで進むと日が沈むと判断。
 まだ日の高い七つ時頃(午後4時頃)に、

 黒崎宿で宿泊しています。

続く。

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