常盤橋は小倉藩が細川家であった時代に、
城下の紫川東側と西側を結ぶ橋として、
架設されたものとされています。
長崎街道の他に、中津街道、秋月街道、
唐津街道等、九州各地の諸街道は、
この常盤橋に繋がっており、
各街道の起点となっています。
さながら江戸の日本橋のような役割でした。
「西国内海名所一覧(一部)」。
歌川貞秀による幕末期の小倉城下。
常盤橋と街道の様子が描かれています。
「常盤橋」。
平成7年に木製に架け替えられた常盤橋。
明治期に鉄橋となっていましたが、
北九州市の紫川整備事業のひとつとして、
江戸時代と同じ木橋に戻されました。
紫川には多くの橋が掛けられていますが、
江戸時代は常盤橋のみだったようで、
重要な役割を持っていたようです。
「常盤橋の橋脚」と「常盤大橋之跡」。
江戸後期の常盤橋を支えていた橋脚と跡碑。
常盤橋は最初は大橋と呼ばれていましたが、
元禄5年に常盤橋と名付けられました。
この橋脚は昭和初期に引き上げられたもの。
「小倉宿跡」。
常盤橋の西側は室町と呼ばれ、
小倉城下の宿場となっていました。
街道筋は当時のまま残っており、
意外にも古い建屋も少しは残っています。
小倉宿は諸街道の起点であった為、
大変な賑わいを魅せていました。
「村屋村上銀右衛門邸跡」。
本陣に指定されて町年寄も務めた村屋邸跡。
現在の中村たばこ店の辺りにあったようで、
佐賀藩や薩摩藩などが利用したようです。
英彦山事件では座主の教有が幽閉され、
1年間を過ごしました。
※後の高千穂教有。
ちなみに江戸期の小倉名物として、
三官飴というものがあったらしい。
残念ながら現在は生産されておらず、
その製法も失われてしまったという。
もち米と麦芽が原料らしいのですが、
どんなものはわからないようです。
■長崎街道の宿場町
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■中津街道の宿場町
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