続き。
①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨
九州遊学の道筋2
①8月30日。
黒崎宿を出て、木屋瀬、小竹、飯塚を経て、
内野宿で宿泊。
※黒崎より内野まで約11里でしたが、
終日馬に乗っての移動でした。
熱については語られていませんが、
馬を使った事からまだ治ってないのでしょう。
②9月1日。
馬で出発。冷水峠を越えて山家宿に至り、
馬を下りて歩いて進む。
原田宿を過ぎて三国峠。
これより田代、瓜生野まで対馬藩の飛び地との事。
佐賀領に至ると関所があり、それを越えて轟木宿に入る。
轟木宿でまた馬に乗り、中原宿で宿泊。
③9月2日。
中原宿を出て、神崎宿を越えて佐賀に入る。
佐賀城下を越え、牛津を経て小田宿で宿泊。
※この日は対馬人の佐々木操という歌詠みと同宿。
松陰はここで筑前人と肥前人を比べており、
筑前人は口先だけで誠実さに欠けており、
肥前人は剛直で堅実だと評価しています。
あんまりな評価ですが、
筑前で何か嫌な目にあったのでしょうかね?
④9月3日。
小田宿を馬で出発。
昨日より続いていた雨は午後より上がり、
北方宿で馬を下りて徒歩で進む。
柄崎、嬉野、田原坂を経て彼杵宿で宿泊。
※ここでの田原坂は西南戦争の激戦地ではなく、
佐賀藩と大村藩の藩境の関所のあった俵坂の事。
⑤9月4日。
彼杵宿から海に添って進み、千綿に到着。
3基の水車があり、それを見学する。
大曲と呼ばれる松林を抜けて大村へ。
大村城下を見学して、永昌を経て、天領古賀に至る。
古賀を越えて⑥矢上宿で宿泊。
※松陰は水車の見学に、熟観すという言葉を使っています。
何がそんなに興味を引いたのでしょう?
続く。
■関連記事■
・吉田松陰の北浦巡視①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永2年の北浦巡視の行程。
・吉田松陰の東北遊学①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨/⑩
嘉永4年の東北遊学の行程。
・吉田松陰2度目の江戸遊学①/②/③/④/⑤/⑥
嘉永6年の江戸への行程。