矢上宿は長崎街道と島原街道の追分にあり、
佐賀藩家老諌早家の知行地で、
幕府領との境界に接していました。
※長崎代官所支配地。
長崎市八神町周辺。緑の線が長崎街道で、
青い線が島原街道北目道。
青でぼかした辺りが矢上宿跡。
南側から散策。
「番所橋」。
中尾川に架かる橋でこれを越えると、
旧諫早領となります。
現在は鉄筋コンクリート製。
「矢上番所跡」碑。
番所橋を渡ると番所が設置されており、
街道の旅人の往来を監視してました。
勿論橋名はこの番所に由来します。
「矢上宿跡」。
宿場跡はほぼ直線に伸びていますが、
街道筋に古い家屋は皆無。
「諫早領役屋敷跡」。
街道筋から少し外れた程近い場所に、
諫早領役屋敷の建屋が現存しています。
周辺領内の民政を司っていたようで、
3名の頭役が執務していました。
敷地には武道場や武道場の他、
子供の手踊り等の稽古場もあったという。
街道筋に戻って北方向へ。
「脇本陣跡」。
現在の長崎市立矢上小学校の敷地に、
矢上宿の脇本陣があったとされ、
人馬継ぎ所等が併設されていたようです。
街道を東側に逸れて国道34号線沿いへ。
「本陣跡」。
藩営の御茶屋があった場所で、
現在は長崎自動車学校となっており
国道沿いに石垣が残っています。
再び街道筋に戻って北上。
「矢上神社」。
長崎市内で一番古いとされる神社で
大黒、恵比寿、須佐之男が祭神。
神仏習合の神社だったようで、
境内の神池には四面佛塔や地蔵尊等、
仏教に関わるものが残されています。
「長崎街道 矢上宿跡」碑。
矢上神社の門前に建てられた跡碑。
矢上宿は矢上神社の門前町でもあり、
近隣の中心地として栄えていたようで、
鍛冶屋、造酒屋等が立ち並ぶ市場として、
非常に繁栄していたようです。
さらに北上。
途中で国道351号線を横切りますが、
この251号線がかつての島原街道北目道。
これを越えて100m程行って左折します。
「教宗寺」。
教宗寺は真宗本願寺派の寺院。
将軍徳川吉宗に献上される像が宿泊し、
江戸参府に向かうシーボルト一行、
そして勝海舟、坂本龍馬ら一行も立ち寄り、
ここで昼食をとりました。
佐賀藩の長崎警備の際には、
家臣団の宿泊所にもなっていたようで、
脇本陣のような役目を持っていた様です。
■長崎街道の宿場町
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