小田宿は長崎街道の宿場町。
西側は小田宿を過ぎた焼米追分から、
本道の塚崎道と脇道の塩田道に分かれ、
東側は朝鍋追分で多良街道に分岐。
この為に交通の要所となっていました。
江北町上小田周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが小田宿跡。
西側から散策。
「馬頭観音堂と大楠樹」。
奈良時代のこの地に行基がやって来て、
豪族親娘の情愛と孝行話に感動し、
海辺にあった大楠に馬頭観音像を掘り、
人馬の安全と健康を守る祈願をしたという。
以降は霊験あらたかな観音様として、
近郷の人々や旅人に信仰されたという。
しかし嘉永4年(1851)に傍らの観音堂が、
火災に遭って大楠も延焼。
馬頭観音像は難を逃れたものの、
風化腐朽で空洞となって拝観は出来ません。
楠は二代、三代と繁って育ち、
往時の様な外観にちがくなっています。
ケンベルやシーボルトも大楠の事を、
日記等に記載しているとのこと。
「関川家住宅」。
立派な町屋住宅ではありますが、
これは明治時代中期の建築。
農商銀行として利用されていたようで、
事務所兼住宅として利用されていた模様。
向いには旅籠石見屋があったようで、
建物はないものの庭園は現存とのこと。
とはいえ見学はできません。
この石見屋は鹿島藩主の定宿という。
「小田宿跡」。
北東へほぼ真っすぐ延びる街道筋。
2つの寺の他は住宅と空き地です。
「中島商店」。
街道はここで直角に曲ります。
このたばこ屋の建物は立派ですが、
由緒はよくわかりません。
「道標」。
これは実物に基づいて復元されたもので、
本物は関川家住宅に保存されています。
「大庄屋中島家跡」。
大庄屋中島伝右衛門邸のあった場所で、
小田宿の本陣を務めていました。
建物は平成元年まで現存していましたが、
傷みが酷かった為に建て替えられています。
現在も中島家当主がすんでいるという。
宿場は200m程度で終わり、
街道筋はそのまま真っすぐ伸びています。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
・佐賀県武雄市 北方宿跡
長崎街道の15番目の宿場町。
・佐賀県武雄市 塚崎宿跡
長崎街道の16番目の宿場町。
・佐賀県嬉野市 嬉野湯宿跡
長崎街道の17番目の宿場町。