続き。
①/②/③/④/⑤/⑥/⑦/⑧/⑨
嘉永3年9月5日。
①矢上宿を出て長崎へ。
関所を越え数町行くと木柱が建っており、
[是寄御代官高木定四郎支配所]
と書かれていた。
日見峠を越え長崎に入り、
②長崎長州藩邸に到着。
藩邸聞役は清水新三郎。
長崎県長崎市 長州藩長崎蔵屋敷跡
※聞役は諸藩や長州藩が長崎に置いた役職。
蘭船の出入や海外の異聞を報告する役。
九州遊学の行程3
嘉永3年9月6日。
朝に郡司覚之進と共に高島浅五郎を訪ねる。
※郡司覚之進は石川市之助と共に、
6月から西洋砲術の修行で長崎に在中。
高島浅五郎は高島流砲術の高島秋帆の子。
午後、舟を雇って蘭船や唐船を見学する。
唐寺の崇福寺に寄って清国人の墓を見学。
長崎県長崎市 崇福寺
長崎には唐寺が5ヶ所あり、
崇福寺はそのうちのひとつ。
※唐寺は長崎の華僑達が建てた寺の総称。
崇福寺の裏山に登って長崎を一望する。
山を下りて晧台寺で坂本天山の墓を参拝。
長崎県長崎市 皓臺寺/坂本天山墓所
※坂本天山は荻野流砲術の大家。
嘉永3年9月7日。
中村仲亮、阿部魯庵、西慶太郎を訪ねるが、
皆留守であった。
諏訪神社に参拝した後、
長崎県長崎市 諏訪神社
平戸藩邸に行って名刺を渡す。
平戸藩聞役山縣三郎太夫に中興鑑言を借用。
※建武の新政での後醍醐天皇の得失論。
南朝正統論を主張する書で、
すりかえ論者達の著書によく登場します。
嘉永3年9月8日。
平戸藩の御用商人古川俊蔵を訪ね、
平戸藩士豊島権平の訪問を受ける。
中興鑑言を読破。
※豊島権平は平戸藩の砲術師範。
平戸への留学の件での訪問でしょう。
この日の朝、従者新介を萩へ帰す。
嘉永3年9月9日。
唐館に行く。
長崎県長崎市 唐人屋敷跡
仙人堂、土神堂、両船主の房や、
その他の房を回った。
また出島の蘭館に行き、
長崎県長崎市 出島(再訪)①
商館やその他の建物を見てまわる。
その後、砲術家大木藤十郎を訪問。
嘉永3年9月10日。
海防説階を写す。
武井武四郎、大木藤十郎、中村儀三郎、
高島浅五郎、吉村年三郎を訪問。
※5人も訪問したようですが、
留守と記載してないので会っているはず。
ただ1日でこれだけまわれは、
大した話は出来なかったのでは?
嘉永3年9月11日。
大木藤十郎を訪ねる。
福田耕作と通訳某の斡旋で蘭船を見学。
①午後より平戸へ向かって出発。
②永昌宿まで進んで宿泊する。
長崎県諫早市 永昌宿跡
郡司覚之進が日見坂の麓まで送ってくれた。
※目的は平戸藩で山鹿流を学ぶ事ですが、
平戸に向かわず長崎へ赴いたのは、
紹介状を書いてもらう必要があったから。
習うべき相手が平戸藩の家老ですので、
このような段取りが必要なのでしょう。
九州遊学の行程4
続く。
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