崇福寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
寛永6年(1629)に福建省福州の華僑らが、
唐僧超然を招聘して開山しています。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に寺請制度が成立されると、
華僑達も寺請証文が必要となった為、
自分達の檀那寺創建に至ります。
最初に創建されたのが興福寺で、
次に福済寺、崇福寺が創建されました。
これらは三福寺と呼ばれています。
「三門」。
竜宮門とも呼ばれる朱塗りの三門。
石積の漆喰塗りに屋根を架し、
その上に入母屋屋根の上層を乗せて、
勾欄を巡らした楼門形式の門。
嘉永2年に日本人工匠が建立したもの。
国指定重要文化財。
「第一峰門」。
元禄8年建立の第一峰門。
材料を浙江省寧波で加工した後に、
長崎に運んで組み上げたこの門は、
軒下の構造組物は四手先三葉栱と呼ばれ、
複雑巧緻な詰組として国内で類例が無く、
中国の華南地方でも珍しいという。
国宝建築物。
「大雄宝殿」。
釈迦如来坐像を本尊とする大雄宝殿。
こちらも中華より材料が運ばれて、
正保3年(1646)に建立されたもので、
建築当初は単層屋根でしたが、
後に重層屋根に改築されたとのこと。
こちらも国宝建築物。
「護法堂」。
中央に観世音菩薩、右に関帝、
左に韋駄天を安置する護法堂。
享保16年(1731)に建立されたもので、
軸部は唐様で妻飾りは和様となっており、
日中工匠の合作とされています。
国指定重要文化財。
「鐘鼓楼」。
梵鐘と太鼓が吊られた鐘鼓楼。
こちらも中華より運ばれた材料により、
建立されたと伝えられますが、
棟梁は日本人だったようで、
細かい部分に和様が入っています。
国指定重要文化財。
「大釜」。
飢民救済の為に使われた大釜で、
4代住持千呆が施粥に使用しました。
鋳物師阿山弥兵衛の作とのこと、
「媽姐門」。
大雄宝殿の隣にある媽祖堂の正門。
大雄宝殿と方丈を結ぶ渡廊下を兼ね、
非常に便利で巧みな配置となっています。
国指定重要文化財。
「媽姐堂」。
華南地方で信仰された媽祖を祀る媽祖堂。
海上守護の女神とされており、
天妃、天后聖母、老媽、菩薩とも呼ばれ、
唐船で海を渡って来る華僑達には、
特に重要視されていたようです。
ゆきちゃんも手を合わせて拝みます(笑) 。
吉田松陰は嘉永3年9月6日。
九州遊学の際に崇福寺を訪問し、
清国人の墓を見学しています。
そのまま風頭山を登って長崎を一望し、
晧台寺の方から下山しており、
砲術家坂本天山の墓に参拝しました。
松陰はその後平戸に赴いて50日滞在。
長崎に戻ったのは11月8日で、
長州藩邸で吉村年三郎に逢い、
郡司覚之進が崇福寺に行ったというので、
吉村と共い崇福寺を訪ねていますが、
既に帰った後で郡司には会えず。
それから高島浅五郎を訪ねた後、
吉村と共に崇福寺に宿を求めますが、
断られてしまったようです。
■関連記事■
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