興福寺は長崎にある黄檗宗の寺院。
寛永元年(1624)に唐僧真円が創建しており、
日本最初の唐寺とされています。
江戸時代初期に長崎に在留した華僑らは、
その死後に悟真寺に葬られていましたが、
後に唐人墓地が整備されて、
そこに葬られるようになりました。
その後に寺請制度が成立されると、
華僑達も寺請証文が必要となった為、
自分達の檀那寺創建に至ります。
こうして創建されたのが興福寺で、
江蘇省や浙江省出身者の菩提寺となり、
後に福建省泉州及び漳州出身者の福済寺、
福建省福州出身者の崇福寺が創建。
これらは三福寺と呼ばれました。
興福寺の開山は真円。
商売で長崎にやってきましたが、
出家して長崎最初の唐僧となり、
興福寺を開山して住持を務めています。
創建時は特定の宗派に属しませんでしたが、
承応3年(1654)に隠元隆琦が渡来し、
長崎の唐寺は臨済宗黄檗派に移行。
後に黄檗宗へと変わっていきました。
「山門」。
朱塗りの山門。
元禄3年(1690)に再建されたもので、
豪壮雄大な外観の八脚門。
この朱塗りの山門が特徴であった為、
あか寺とも通称されたとのこと。
「大雄宝殿」。
興福寺の本堂にあたる大雄宝殿。
最初の建物は寛文3年(1663)に焼失し、
その後の元禄2年(1689)に再建されますが、
慶応元年の暴風で破壊されており、
現在のものは明治16年に修復されたもの。
国指定重要文化財。
「媽姐堂」。
本堂の隣にある朱塗りの媽姐堂。
媽祖は海上守護の女神で、
華僑の間で広く信仰されていました。
「鐘鼓楼」。
元禄4年(1691)再建の鐘鼓楼。
梵鐘と太鼓が吊るされていましたが、
戦時中に梵鐘は戦時中に供出され、
戦後も設置されずにいました。
令和元年に福建省知事于偉国が、
興福寺を視察した際にこの事を知り、
新しい梵鐘の寄贈を提案され、
令和3年に興福寺に贈られています。
「三江会所門」。
江南、浙江、江西の三省出身者が、
明治11年に三江会を設立し、
興福寺境内に事務所を置きました。
明治13年にその会所が建てられており、
これはその会所の長屋門。
会所建物は原爆で破壊されましたが、
この門は現存しています。
興福寺にはこの他にも、
長崎聖堂の杏壇門と大成殿が移築され、
境内に保存されていますが、
これについては別記事とします。
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