吉田松陰の九州遊学②

続き。
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嘉永3年8月30日
黒崎宿を出て木屋瀬小竹飯塚を経て、
内野宿で宿泊。
福岡県飯塚市 内野宿跡
黒崎より内野まで約11里でしたが、
 終日馬に乗っての移動でした。
 熱については語られていませんが、

 馬を使った事から治ってないのでしょう。

嘉永3年9月1日
馬で出発。冷水峠を越えて山家宿に至り、
福岡県筑紫野市 山家宿跡
馬を下りて歩いて進む。
原田宿を過ぎて三国峠
これより田代瓜生野まで対馬藩飛地。
佐賀領に至ると関所があり、
関所を越えて轟木宿に入る。
佐賀県鳥栖市 轟木宿跡
轟木宿でまた馬に乗り、
中原宿で宿泊。
佐賀県三養基郡 中原宿跡

嘉永3年9月2日
中原宿を出て神崎宿を越えて佐賀に入る。
佐賀城下を越え牛津を経て④小田宿で宿泊。
佐賀県杵島郡 小田宿跡
※対馬人佐々木操という歌詠みと同宿。
 松陰は筑前人と肥前人を比べており、
 筑前人は口先だけで誠実さに欠けており、
 肥前人は剛直で堅実だと評価しています。
 筑前人にとってあんまりな評価ですが、

 何か嫌な目にでもあったのでしょうか?

嘉永3年9月3日
小田宿を馬で出発。
昨日より続いていた雨は午後より上がり、
北方宿で馬を下りて徒歩で進む。
佐賀県武雄市 北方宿跡
柄崎嬉野田原坂を経て⑤彼杵宿で宿泊。
長崎県東彼杵郡 彼杵宿跡
※この田原坂は西南戦争の激戦地ではなく、
 佐賀藩大村藩の藩境で関所
俵坂の事。

嘉永3年9月4日
彼杵宿から海に添って進むと千綿
3基の水車がありそれを熟観する。
大曲と呼ばれる松林を抜けて大村へ。
長崎県大村市 大村宿跡
大村城下を見学し、
永昌を経て天領の古賀に至る。
古賀を越えて⑥矢上宿で宿泊。
長崎県長崎市 矢上宿跡
※水車の見学に熟観すという言葉を使用。
 何に興味を持ったのでしょう?



九州遊学の行程2

続く。

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