正徳3年(1713) 閏5月10日夜。
薩摩藩士内田忠左衛門と海江田次郎兵衛が、
藩の公用荷物を馬2頭に積み、
鹿児島から不眠不休で運んでいました。
夜四ッ時(午後10時頃)に小竹に至り、
小休して更に進んで竹藪の道となると、
暗がりで盗賊5人に襲われます。
盗賊は不意を衝いて内田の刀を奪い、
積荷を渡せと迫った為、
内田は海江田に逃げるよう指示し、
自らは残って脇差で応戦。
海江田は無事に木屋瀬宿に辿り着き、
内田も負傷しつつも盗賊を追い払います。
それから直方城下まで行きますが、
深夜を理由に開門は拒否。
内田は仕方なく小竹まで引き返し、
龍徳屋兵五郎に保護されました。
兵五郎は朝を待って直方藩に通報。
これを聞いた直方藩は迅速に行動し、
龍徳屋に藩医数名を派遣すると共に、
木屋瀬宿にも護衛を派遣して、
海江田と積荷の警護を行っています。
盗賊3人は後に捕らえられ、
遠賀川河川敷にて打首となりました。
この話が薩摩藩主島津吉貴に伝わり、
参勤交代時は龍徳屋を小休所と定め、
必ず立ち寄るようになったとされ、
後に佐賀藩、久留米藩もこれに倣った為、
小竹は間宿として発展したという。
「長崎街道 小休所跡(龍徳屋)」。
建物は更新されているものの、
龍徳屋酒店として現在も健在。
道沿いの塀には小休所跡の碑の他に、
説明書も張られていました。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
・福岡県北九州市 木屋瀬宿跡
長崎街道の2番目の宿場町。
・福岡県飯塚市 飯塚宿跡
長崎街道の3番目の宿場町。