福岡県飯塚市 飯塚宿跡

飯塚宿長崎街道の宿場町で、
福岡藩領筑前六宿のひとつでした。
縄文弥生時代から開けていたとされ、
大陸(前漢)との交流もあった先進地で、
広い穀倉地帯でもあったという。
江戸時代には水運業と宿場町で栄え、
明治時代以降は炭鉱の町としても繁栄。
現在は福岡県で4番目の人口を誇ります。


飯塚市市街周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが飯塚宿跡。

北側から散策。

オランダ屋敷跡」。
江戸参府オランダ人が宿泊した場所で、
ケンぺルシーボルトも泊ったという。
擬洋風の建物を連想してしまいますが、
蘭人の定宿があった場所のようです。
敢えて宿場から遠ざけたのでしょう。


納祖八幡宮」。
飯塚宿北側にある飯塚鎮守の神社。
神功皇后三韓征伐を終えての帰途、
納祖の森に祭壇を設けて天神地祇を祀り、
九州の臣民達と別れを惜しんだとされ、
またいつか尊顔を拝し奉らん
と九州の臣民が口々に言った事から、
「いつか」から「飯塚」に変化したのが、
地名の由来であるという。
※この地名の由来についてですが、
 記事の後半に別の説も記載しています。

その祭壇跡に建てられたのが納祖八幡宮で、
正確な創建年代は不詳ですが、
延文4年(1359)には社殿が建立されており、
飯塚の鎮守として崇敬されました。


飯塚宿 寳月楼跡」。
商人で歌人でもあった古川直道の別荘跡。
古川直道はここで嘉永2年から10年間、
門弟達に指導をしていたようです。
女流勤皇歌人野村望東尼も訪れたようで、
地域文化の中心地となっていました。

ここまではまだ宿場外。
東構口跡より宿場へ入ります。

飯塚宿 構へ口跡」。
東樋口があった場所。
福岡藩領の宿場の入口に設置された入口で、
長崎街道では小倉側の入口を東構口、
長崎側を西構口と呼び、
入口の道と直角に石垣を組んで、
白壁の練塀を築いていたようですが、
現在は失われて跡碑が残るのみ。

街道筋は商店街になっており、
アーケードで覆われています。

JOYJOYほんまち商店街」。
訪問時は日曜の昼時。
通りはシャッターが目立っていますが、
これは商店街が衰退しているのか、
コロナ禍の影響で一時的なものなのか、
単に日曜だからなのかはわかりません。


飯塚宿 問屋場跡」。
宿場跡には沢山の跡碑が設置されています。
これは問屋場のあった場所で、
人足や馬、籠等の引継ぎ場所でした。
他にも色々と跡碑が設置されていますが、
お馴染みの長崎屋薩摩屋の碑は無し。


からくり時計」。
はたや楽器店の上部にあるからくり時計で、
享保の象道中をテーマにしています。
丁度時計が開いていたので撮影しました。
後で調べると長崎屋の跡地のようです。


森鴎外文学碑」。
小倉十二師団軍医部長だった森鴎外は、
衛生隊の演習の為に飯塚を訪れています。
この碑は鴎外の「小倉日記」より、
飯塚滞留の部分を抜粋したもの。
衛生隊の演習って何するんでしょう?

商店街より街道を逸れて西側の路地へ。
本陣である御茶屋は街道から外れています。

勢屯り跡」。
明正寺の車出入口に建てられています。
勢屯り大名行列の出発の際に、
隊列を整える広場だった場所で、
勢屯りに跡碑が設置されているのも珍しい。

更に明正寺を越えて西側へ。

飯塚宿 御茶屋跡」。
福岡藩営の本陣である御茶屋の跡で、
現在は飯塚片島交流センター


飯の山」。
飯塚片島交流センター敷地内の小山で、
明星寺(明正寺?)の造営開堂の祭りの際、
沢山炊いた飯が残ってしまい、
仕方なく集めてこの塚を造ったとされ、
これが「飯塚」地名の由来であるという。
前記した納祖八幡宮の説とは違いますが、
なんだかこちらの方が信憑性あります。

商店街に戻って更に南下。

白水橋跡」。
JOYJOYほんまち商店街は車道を横切って、
サンエステひがしまち商店街に接続。
車道はかつての飯塚川を埋め立てたもので、
横断歩道の辺りに橋が架けられていました。
飯塚川は現在は存在しない川で、
大正末期に埋め立てられたとのこと。
現在はその上が道路となっていますが、
どうりで道が変に湾曲している訳ですね。

商店街の突き当りを西へ。
アーケードはすぐに終了します。
そこから100m程行って左折し、
更に南下すると西樋口に到達。

飯塚宿 構へ口跡」。
ここが西樋口の跡ですが、
跡碑は東樋口のものと同じ名称。
ここまでが飯塚宿で道は更に続き、
次の内野宿へと向かいます。

ここまで歩いて道中に古い家屋は皆無。
発展した故に建物は更新されたのでしょう。
全く遺構が無い為か跡碑は充実しており、
宿場跡の散策は容易でしたが、
跡碑巡りだけでは物足りないのも事実。
何か視覚に訴えるものが必要ですね。

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