福岡藩初代黒田長政の四男黒田高政は、
長政より鞍手郡周辺4万石を与えられ、
東蓮寺藩を立藩しました。
直方はその陣屋町として興った町で、
真言宗の古刹東蓮寺があった事から、
周辺は東蓮寺と呼ばれたようですが、
3代藩主黒田長寛が直方と改称。
後に長寛は宗家の家督を相続しており、
※長寛は福岡藩3代黒田光之の四男で、
東蓮寺藩2代黒田之勝の養子となり、
3代藩主となっていました。
宗家相続後は黒田綱政に改名。
これによって直方藩は消滅していますが、
後に綱政の弟黒田長清が再興します。
しかし長清の継嗣黒田長好が宗家を継ぎ、
再度直方藩は消滅しました。
この為に直方の陣屋町は衰退。
町の存亡の危機に町年寄庄野仁右衛門は、
長崎街道が直方を通過するよう嘆願し、
木屋瀬宿と飯塚宿の中継地として、
直方の町は間宿となっています。
JR直方駅周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが直方宿跡。
南側から散策。
「西構口跡」。
直方の間宿跡はアケード街となっています。
西構口は福岡銀行南支店跡の辺り。
「直方宿跡(ふるまち通り)」。
シャッター街となっていましたが、
訪問時は日曜日だったからのようで、
平日はもう少し賑わっている模様。
街道は県道40号線より東側へ折れ、
遠賀川まで進んで頓野口渡しより川東へ。
渡河後に北上して木屋瀬宿に至ります。
しかしながら東構口はこの道にはなく、
40号線を西に行った場所にありました。
「東構口跡」。
東構口は円徳寺交差点を右に曲がり、
須崎町商店街に入る前辺りにあった模様。
こちらの道は赤間宿へ向かう道です。
街道筋は遠賀川がある為、
構口は必要無かったのでしょう。
とりあえず直方宿は以上。
ついでに2つの陣屋跡へ。
「雙林院(東蓮寺陣屋跡)」。
初期の藩庁である東蓮寺陣屋跡。
現在は雙林院という寺院となっていますが、
門は閉ざされていて様子はわかりません。
JR筑豊本線を越えて直方陣屋跡へ。
「多賀児童公園(直方陣屋跡)」。
妙見山頂上にある直方陣屋跡。
多賀児童公園となっており、
西側山麓の道路沿い(体育館側)に、
直方城碑が建てられています。
■長崎街道の宿場町
■関連記事■
・福岡県北九州市 木屋瀬宿跡
長崎街道の2番目の宿場町。
・福岡県飯塚市 飯塚宿跡
長崎街道の3番目の宿場町。