晴雲寺は飯塚市鯰田にある曹洞宗寺院。
福岡藩中老野村家の菩提寺で、
野村家は鯰田周辺6000石を与えられ、
代々この辺りを領していました。
「本堂」。
本堂は明治42年の再建とのこと。
境内には大きな楠や銀杏があります。
墓地は本堂南側のようですが、
小山に点在している感じ。
更に飯塚バイパスも通っており、
初代当主である野村大学の墓は、
その飯塚バイパスを越えた場所。
「晴雲院殿前鷹司融巖卜圓居士位」。
野村家2代野村市右衛門祐直(大学)の墓。
黒田二十四騎のひとり野村祐勝の子で、
朝鮮の役で父と共に戦功を挙げ、
父の急死に伴い家督を継ぎ、
石垣原の戦いでも活躍しました。
この功により嘉麻郡6960石を拝領し。
子孫は中老職を世襲しています。
晴雲寺は彼の開基であり、
以後は野村家の菩提寺となりました。
この墓は福岡城の方角を向いています。
江戸時代の講談や軍記物語では、
母里太兵衛が飲み取った名槍日本号を、
朝鮮の役の際に後藤又兵衛が譲り受け、
後に後藤が黒田家から出奔する際に、
日本号を受け継いだとされていますが、
このような記録はないようで、
そのまま母里家で受け継がれました。
これ以降の野村家の墓所は不明。
晴雲寺にあったのかもしれませんが、
もしそうでも失われているでしょう。
幕末の当主野村東馬は保守派に属し、
乙丑の獄での弾圧に関与しており、
維新後にその罪を問われ切腹しています。
その為に野村家は断絶したようですが、
現在の子孫等がいるかは不明。
また太政官札贋造事件では、
断絶した野村家の屋敷において、
一分銀など硬貨の贋造が行われました。
この事件で黒田家は知藩事を罷免され、
有栖川宮熾仁親王が後任となった為、
廃藩置県前に黒田家の筑前支配は終焉。
その3日後に廃藩置県が断行されています。
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