河原は赤間関街道北浦道筋にある集落で、
先大津宰判の勘場に程近く、
街道沿いに市が開かれていました。
「御国廻御行程記 河原(一部)」。
街道沿い(地図の下の道)中央左寄りが河原。
周辺は当時から耕地が開けており、
集落が散在していたようです。
河原札場周辺。緑の線が街道筋で、
青い線は勘場や八幡宮、常正寺への脇道。
青でぼかした辺りが河原市跡で、
勘場は菱海小学校の敷地にありました。
「河原市跡」。
河原市跡は現在も小さな集落で、
街道沿いの家屋は殆ど新しくなっています。
集落の両端にお地蔵様があるのが、
河原市の数少ない遺構。
「札の辻」。
高札場があったと思われる辻で、
地名も油谷町河原札場。
南側の家は古そうですが、
その由緒はよくわかりません。
古地図の河原市の辺りには、
一里塚(一リ山)が記載されていますが、
これも現在は失われています。
■赤間関街道/萩往還の宿場町
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河原市近くにあった宰判勘場の跡。
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北浦道筋の市宿であった粟野の港町。
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交通の要所として賑わった古市跡。