吉田松陰の九州遊学④

続き。
///④/////


九州遊学の道筋5

①9月12日。
永昌宿を出発して、大村藩領へ。
松原より舟に乗って彼杵に上陸。
海に添って進み、川棚に至る。
川棚川を過ぎて、川棚山を越え、
へノ峯も越えて少し進むと関所があり、
それを越えて早岐宿で宿泊。
※川棚山という山がどの山かわかりませんが、
 白岳のことかもしれません。
 へノ峯とは「
舳ノ峯」のことで、
 番所峠とも呼ばれ大村藩と平戸藩の境界として、

 双方の役人が常駐していたようです。

②9月13日。
早岐宿を出て佐世保浦へ。
浦より中里を過ぎて江向に到着。
この日は山や坂ばかりで、
しかも雨が降りだしたので途中で傘を買い、
ただ一人歩いているので淋しさが募り、
道はぬかるんで歩くのに手間取り、
挙句に泊まる宿が無いので、
あちこち歩き回りようやく庄屋の家に泊めてもらった。
※散々な旅だったようで、愚痴を書き連ねた後、
 「
其の他の艱難枚挙に勝えず」と記しています。
 江向は江迎の事。

③9月14日。
江向を出発して、山坂を進んで日野浦に至る。
日野浦より舟に乗って④平戸城下へ。
海の流れは赤間関よりも早いと感じる。
海上で琉球船14~5隻を確認。
平戸の港に入ると、関舟小早などの船が視られ、
藩主御座船も見られた。
港の着いて旅宿がないかと尋ねるが見つからない。
仕方ないので、直ちに目的地である葉山佐内の家を訪ね、
葉山佐内の紹介で紙屋という宿に宿泊する。
王陽明の「伝習録」と葉山佐内著「辺備摘案」を借り、
「辺備摘案」を夜間写し取った。
※藩主御座船は文字通り藩主の使用した船で、
 
参勤交代長崎勤番に向かう際に、
 平戸港から日野浦へ渡るのに使用されました。
 これほどの城下町で宿が見つからないのも不思議ですが、
 栄えた町だからこそ、

 なかなか宿が見つからなかったのかもしれませんね。

続く。

///④/////

■関連記事■
吉田松陰の北浦巡視①/////
 嘉永2年の北浦巡視の行程。
吉田松陰の東北遊学①/////////
 嘉永4年の東北遊学の行程。
吉田松陰2度目の江戸遊学①/////
 嘉永6年の江戸への行程。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。