松原宿は長崎街道の19番目の宿場町。
彼杵宿と大村宿に挟まれていた為、
規模の小さな宿場であったようで、
本陣や脇本陣は指定されてはおらず、
大名行列や長崎奉行の一行は、
休憩のみに立ち寄っていたようです。
大村市松原本町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが松原宿跡。
南側より散策。
「松原宿南入口」。
葭川に架かる葭橋を渡ると松原宿の入口。
松原宿は桝形の無い直線状の宿場です。
「松原庄屋跡」。
大村市立松原小学校前の石垣は、
松原村の庄屋宅の石垣。
小学校の敷地が庄屋宅だったようで、
かなり裕福な庄屋であったと思われます。
60m程北側へ進んだ東側の脇道に、
長岡左近純生の墓があります。
「長岡院義忠純生日勇」。
戦国時代の大村家家臣長岡左近純生の墓。
父長岡純胤と共に大村純忠に仕え、
後藤貴明との戦いで父は戦死しますが、
純生は大将寺井近江を討ち取ったとされ、
その後のも数々の戦功を挙げたという。
そしてこの一帯に屋敷を賜って、
96歳の大往生を遂げたとのことで、
この碑は子孫によって建てられたもの。
更に北側へ歩く。
「伊東家屋敷」。
鍛冶屋伊東家の屋敷で、
現在も子孫が住んでいる旧家。
大村独特の五色塀が印象的です。
「旧松屋旅館」。
宿場時代は茶屋であったようですが、
明治時代に入って旅館となり、
昭和40年頃まで営業していたという。
現在は地域起こしの拠点となっており、
色々なイベントが行われているようです。
「松原御茶屋跡」。
旧松屋旅館の向かいは旧上野酒店で、
同じく茶屋であったとのこと。
建物は残っていませんが白壁は現存。
松原は鍛冶屋の町として知られ、
主に包丁や鎌等の道具が造られました。
その起源は平家の末裔が住み着いて、
刀鍛冶を始めた事から広まったという。
現在も松原鎌の工場が操業しており、
その伝統を受け継いでるようです。
吉田松陰は嘉永3年9月12日に、
長崎からこの松原までやってきて、
ここから舟に乗って彼杵に向かいました。
彼杵は隣の宿場ですが、
海路の方が早かったのでしょう。
■長崎街道の宿場町
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